悲しみの秘義(若松 英輔)

悲しみは忌むべきものではない。悲しみを知るからこそ人は人たりえるのではないか。そうして考えてみると、腑に落ちることがあった。26編のエッセイには、作家や哲学者が残した文章や詩、和歌などが引用され、悲しみや孤独と向き合うきっかけが示されている。

例えば、宮沢賢治の詩から、愛しい者を失うことの悲しみとあわせて邂逅への喜びを見る。あるいは、批評家・越知保夫の一文から、情報過多の中で見落とされている本当の意味での「よむ」ことの意味を見る。

涙とともに読んだところも複数ある。例えば7編目の「勇気とは何か」で岩崎航の詩を読んだときの気づき。さらには14編目「花の供養に」で石牟礼道子が水俣病でなくなった女性の母の言葉を綴った一文から見える景色。心に刺さったところも多数あり、中でも25編目「文学の経験」で夏目漱石の「こころ」を読むことからわかること。

一度読んだだけですべて理解できたとは到底思えない。ただ、この本を本棚に残しておいて、本当に深い悲しみに暮れたときにもう一度読みたいと思う。悲しみは、哀しみでもあるが、(かな)しみ、(かな)しみにもなるのだから。

個人的おすすめ度 5.0

ぎょらん(町田 そのこ)

死者は何も語らない。しかし、故人の思いを想像することはある。その思いに引き摺られてしまうこともある。死者が残すという赤い珠を口にすると、その者の最期の願いが見えるという。まるで魚の卵のようなその珠はぎょらんと呼ばれる。

突然亡くなる命もあれば、ゆっくりと消えてゆく灯もある。連なる六編の物語は、ぎょらんが残された人たちの人生に齎したものを描いていく。そこには正解と呼べるものはないのだろう。ただ、人の死が残された者の人生に影響を与え続けるとき、死が意味するものはこの世界からの完全な消滅ではないように思う。

人は誰もが死を迎える。この当たり前の事実を語ることが憚られる昨今だからこそ、本作品のテーマはとても重要だと感じ、言葉にならない重みとして心に残った。生きていれば大切な人を失うことはある。あるいは、いつか自分も誰かにぎょらんを残すかもしれない。今読むことができてよかったと思えた一冊である。

個人的おすすめ度 4.5

リボルバー(原田 マハ)

そのリボルバーから放たれた弾丸はゴッホの体を貫いた。その瞬間、彼は何を思っただろうか。そして、ゴッホとともに語られるゴーギャン、ゴッホの弟・テオは、彼の死に何を感じただろうか。ひとつのリボルバーをきっかけに、過去が生々しく想像され描かれていく。複雑な美しさで人を魅了するタブローのように。

原田マハさんの作品を読むと、孤高の天才ゴッホを身近に感じるようになる。以前は少なからず狂人のような印象を持っていたのだが、今では人間としてゴッホの魅力に惹かれている。絵画の正しい見方はわからないが、それぞれの絵にも物語を見るようになってくる。

また、この物語を読みながら、ゴーギャンの絵を改めて眺めてみると、素晴らしい斬新さの裏側に浮き沈みの激しかった彼の人生が投影されているかのように思えてくる。絵は描かれた瞬間から変わることはないのかもしれないが、そこに語られる歴史もまた見る者を魅了する要素なのかもしれない。

後半は涙をこらえながら読んだ。残り僅かなページを噛みしめるように捲った。もう少しだけ、彼らの物語の中にいたかったが、今はその余韻の中にいる。

個人的おすすめ度 4.0

ざんねんな食べ物事典(東海林 さだお)

居酒屋で与太話に花が咲くことはよくある。深夜になるほど盛り上がって、翌日考えると大して面白くもない話題も楽しくて仕方がない。くだらないけれど、よくそんなこと思いつくなと感心するような話題が満載のエッセイ集である。

冒頭のラーメンの話も、歯磨きの話も、掘り下げる方向性がとんでもない方向にあるのだが、気の合う仲間と飲みながら話をすると確かにこんなことになるなと苦笑しつつ読む。中盤のチェーン店道の対談は、少なからず共感するところがあり、さらに呑みつぶれツアーの話題に至っては、この本を読んで良かったなという気持ちになっている自分がいた。

物事を深く考えることは大切だろうが、その方向が違うとこんなことになるんだなと、複雑な思いをもって読了した。

個人的おすすめ度 3.0

うつくしが丘の不幸の家(町田 そのこ)

郊外の新興住宅街うつくしが丘に建つ一軒の家。この住宅を購入し、理髪店としてリフォームして新たな一歩を踏み出そうとする夫婦だが、開店を直前に控え、この家が不幸の家だという話を聞く。庭にある大きな枇杷の木も、不幸の象徴のように見えてくる。もともと夫婦がこの家にたどり着いたのも、夫の実家との確執があった結果だった。

物語は、少しずつ歴史を遡りながら、この家に住んだ人々がここでどのように暮らし、そして旅立っていったのかを丁寧に描いていく。確かにその時々にここで暮らした人たちの心が乱れる瞬間が何度もあった。しかし、そのひとときだけを眺めて、彼らが不幸だったと決めるのは誰だろうか。読んでいてどうしようもなく辛い気持ちなりながらも、小さな希望を求めて頁を捲った。

次々と伏線が引かれては回収されていく展開、そして最後にすべての物語がもつれ合うように繋がっていく。素晴らしい構成力、美しい言葉で紡がれる描写、そしてハッとさせられる登場人物たちの一言、すべてが素晴らしい。今日も良い一冊に出会えたことに感謝する。

個人的おすすめ度 4.0

国宝 青春篇/花道篇(吉田 修一)

長崎で任侠の家に生まれた喜久雄は、運命的な出会いから、歌舞伎役者への道を歩むことになる。喜久雄が預けられた家は歌舞伎の家元で、幼いころより後継者として育てられてきた俊介がいた。二人はともに女形として頭角を現し、ライバルとして互いに磨きあいながら成長していくのだが、その道は決して平坦なものではなかった。

芸能の世界を極めようとする者は、他の道を選ぶことは許されないのだろうか。歌舞伎の舞台は彼らの人生そのものであり、彼らの人生が最期を迎えるまでその演目は幕を閉じることはなかった。

私自身は歌舞伎の知識に疎いため、深く理解できていない部分も多いと思うが、それでもなおこの作品の感動は素晴らしい。読了したところで歌舞伎への興味が高まり、さっそく舞台を見にこうと調べてみている。もう少し学びが深まったところで再読すれば、きっと新たな発見がたくさんあるに違いない。

この作品は、二人のほかにも魅力的な登場人物が溢れている。特に女性の活躍は素晴らしく、彼女たちの手腕なくして男など何の役にもたたないだろうと思えてくる。ただ、私がもっとも感情移入した登場人物は徳次郎という男で、子供のころから喜久雄と共に育ち、ずっと喜久雄を支え続ける、誰よりも情に溢れる人間である。

本作はノンフィクションではないかと思うほど人間が生々しく描かれ、読了後も彼らの息遣いが聞こえ続けるほどの余韻が残る。

個人的おすすめ度 4.5

さよならも言えないうちに(川口 俊和)

「コーヒーが冷めないうちに」シリーズの第四弾は、タイトルの通り別れてしまったことへの後悔を引きずった人が、過去に戻ることで、納得してこれからの人生を歩んでいけるようになる4つの物語である。現実を変えることはできなくても、ひとつの事実に気づくかどうかで、物事の見え方が変わってくる。そんなことがきっと日常には溢れている。

4編の中で、特に愛犬との物語を読みながら、5年前に亡くなった猫のことを思い出した。もし過去に戻ることができるなら、一瞬でもあの子に会いたいと思う気持ちが今でもある。一緒に暮らす犬や猫は家族と同じで、ただ人間が一方的に保護するばかりの存在ではなく、彼らも家族として暮らす人間のことを思いやり、互いに支えながら生きているのだと思う。

とても穏やかな気持ちで安心して読むことができる一冊。

個人的おすすめ度 3.5

出星前夜(飯嶋 和一)

歴史を学ぶというのは、年号を覚えることに非ず。なぜ人々がそのような歴史を歩んだのか、そこにあった人々の心を想像し、未来への学びとすることこそ、歴史に学ぶということなのだろう。そのことを痛感させられる作品である。

小中学生で習った島原の乱は、キリスト教徒による武装蜂起だったという程度のものであった。キリスト教が禁止され、それに対する反発だったといった認識しか持ち合わせていなかった。まったく不勉強極まりなかったと思う。この作品では、なぜ彼らは勝ち目のない戦いのために蜂起したのか、それを選択せざるを得なかった背景を丁寧に描いている。人々を支配しようとする為政者にとって、ギリギリの生活を続け、それでいて抵抗せず、求められるままに納税し続けてくれる住民ほど有難いものはない。そのために、キリスト教の禁止という施策は、人を支配するための口実として都合よく使われたのである。

住民たちの蜂起への共感は、判官贔屓という言葉で表現されるような弱い立場の者への同情ではない。人が人として生きようとする強さへの共感である。同時に、単なるきれいごとではない人々の姿、宗教を信じて聖なる死を受け入れるよりも、ただ生きたいと願う人々の行動にも共感する。そこに、愚かで愛すべき人の姿が、私と同じく赤い血が流れる同じ人としての姿が見えた。

この一冊と出会えたことに感謝したい。そして、多くの人にこの本が読まれることを願う。

個人的おすすめ度 5.0

神さまの貨物(ジャン=クロード・グランベール)

ユダヤ人迫害が激しさを増す戦争の時代、ひとつの小さな命を守るために、両親はその命を投げ捨てるかのように他人に託した。その命を拾い受けた木こりの夫婦は、天傘の授かりものとしてその子を大切に育てるのだが、そのためには犠牲が伴う苦渋の決断があった。

子供に読み聞かせるような優しい文章の中に、愚かさと尊さが入り混じった人間のありようが表現されている。多くの命がまるで価値のないもののように失われていった時代だからこそ、小さな命に希望を感じるのだろうか。あるいは、今もなお世界は平和とは言えないからこそ、この作品に光を求めるのだろうか。

物語の終わりに、悲しくて素敵な出会いが待っている。そして、その子が力強く未来へ向かっていく様が見えた。

個人的おすすめ度 3.5

狐笛のかなた(上橋 菜穂子)

人にはない力を母から受け継いだ小夜は、あるとき犬に追われる子狐を助けた。その狐はこの世と神の世の境に棲む野火という名の霊狐であった。また、小夜は、森陰屋敷という大きな屋敷から出ることを許されない少年と出会い、心を通わせるようになる。物語は、小夜、野火、そしてその少年を中心に展開していく。

舞台は恨みあう二つの国。その一方の国で、王の後継者であった王子が病死すると、森陰屋敷に閉じ込められていた少年を巡って深刻な事態が訪れる。小夜は亡き母の出生の知り、この混乱に自ら足を踏み入れるようになる。そして、かつて小夜に救われた野火もまた、容易ではない立場にありながら小夜を助けようとする。

野間児童文芸賞を受賞した本作は、大人が読んでも心に響くファンタジー作品で、彼らの未来が気になって頁を捲る手が止まらない。架空の世界のことであるにも拘わらず、情景や彼らの姿が行間から鮮やかに浮かび上がってくる。気が付けば自分が別の世界の中に舞い込んでいる。これこそファンタジーを読む醍醐味である。

そして、このラストシーン。切ないとかそんな一言では表現しきれない、心が締め付けられるような思い。きっとこの作品を読んだ方ならわかってくれるだろうと思う。また読み返したくなる作品である。

個人的おすすめ度 3.5