高瀬庄左衛門御留書(砂原 浩太朗)

人生はひとつの出会いで変わっていく。それに良いも悪いもないが、ついたらればを考えてしまう。過ぎた過去は変えられないが、未来は変えられるかもしれない。だから、読後もしばらく物語の世界に浸りながら、高瀬庄左衛門やその周囲の人々のその後の人生を想像した。

神山藩で郡方を務める高瀬庄左衛門は五十歳近くなり、妻を亡くしたものの、その役目を息子に譲って第二の人生を歩み始めているかに見えた。しかし、その息子を事故で失い、息子の妻であった志穂と手慰み程度の絵を描きながら日々を過ごしていた。

この物語が面白いのは、登場人物たちの多面的で微妙な感情が繊細に伝わってくるところである。また、描かれていない行間を想像させる筆力にも引き込まれる。気が付けば時間を忘れ、まるで自身が江戸の世にいて、彼らと同居しているかのような錯覚にさえ陥ってしまう。

大きな事件が過ぎ、何気ない日常が戻ったかに見えた後半には、さらに畳みかけるような展開があり、震えるほど感動して、それ以上表現する言葉が思いつかない。この心地よい読後感をぜひ読んで味わってもらいたい。

個人的おすすめ度 4.5

スモールワールズ(一穂 ミチ)

人生を振り返ると、あの時がターニングポイントだったなと思う出来事がいくつかある。その時は気づかなかったり、あるいは感情をコントロールできなかったり、あるいは自分では何でもないと思っていたことが他人にとっては重大な出来事であったりする。そんな大切な瞬間を描いた六本の短編は、まったく別の物語でありながら、互いに重なる瞬間を過ごしているのだろうなと思う。

旦那や姪らとの微妙な距離感を描いたネオンテトラ、強すぎる姉の新たな一面を描いた魔王の帰還、鋭すぎる家族模様を描いたピクニック、兄を殺した犯人との文通を描いた花うた、突然再開した娘(息子)との関係修復を描いた愛を適量、夜間高校時代に出会った後輩との関係を描いた式日。登場人物たちはなかなか他人に打ち明けられない悩みを抱え、それをわかっているのは読者だけなのだが、現実の社会もそのようなものだ。だから、どこかで自分自身に折り合いをつけたり、納得をしながら生きていくほかないのだろう。

泣けるところもあれば、背筋が寒くなるところもあるが、心の隙間をくすぐられているような心地のする物語たち──ちょっと心をリセットしたいときに読みたい一冊である。

個人的おすすめ度 4.0

三体 III 死神永生(劉 慈欣)

人類が他の知的生命体とどう対していくのか、地球あるいは太陽系にはどのような未来が待っているのか、想像を超える結末を迎える三体の完結編。宇宙は自らの存在を知られることで滅亡の危機に瀕するという暗黒森林の状態にある。その中で、三体文明とどう対峙していくかを問われる人類の行く末が描かれる。

本作品では、全人類の運命のカギを握る一人の女性・程心(チョウシン)を中心に物語が展開していくが、一つの決断が人類の運命を左右する。しかし、それは長い宇宙の歴史からしたら、さざ波にすらならない瞬間の出来事でしかないかもしれない。読めば読むほど結末が全く想像できず、舞台は太陽系から宇宙へと広がっていく。そして、宇宙の起源や結末にまで話が及んでいく。

三体シリーズを読んでいると、自分が考えていることは本当に狭い世界のことだと思い知らされる。できるだけ脳を柔らかくして読んでいるつもりでも、そのさらに外側に物語が展開していく。それによって新たな想像力を養うこともできるように感じた。

このシリーズを読むためには、従来の固定概念を捨てる必要があるかもしれない。あるいは、読み終えたときに狭い固定概念は崩壊しているかもしれないが、その快感を味わうことができるかどうかがこの作品をよむ価値ではないかと思う。

個人的おすすめ度 4.0

バラカ(桐野 夏生)

東日本大震災が露わにしたのは、この国に住む人が気づかないふりをしてきた沢山の綻びだったのだろうか。絆の大切さが語られる一方、人の不幸を踏み台にした幸せが存在していることが露わになったのではないか。この物語は、闇の市場で売られた幼女バカラが逞しく生きていく様子と共に、日本という国が抱える問題を象徴的に描いている。

妻や子供を失ってからその愚かさに気づく男、子供が欲しいという願いから命の売買に手を染める女、人を愛することができず人を騙すことだけに自分の存在感を感じる男、自らの運動に子供を巻き込む大人など、この物語には程度の差こそあれ愚かな人々が登場する。読んでいて不快になるのは、その人たちの姿が少なからず自分自身にも当てはまるからである。

一方、バラカのことを応援する人々にも共感する。危険を冒してもなお一人の少女を助けたいという思いは、この社会にはまだ光があることを感じさせてくれる。彼らにとってバラカを助けることは、自らが暮らす社会をより良いものにすることとイコールである。

読み終えてふと思う。今の日本は、この物語に描かれているような悪意がまかり通る社会と異なるものだろうか。それとも同質のものだろうか。バラカという一人の女性の生き方に強く惹かれる物語であると共に、現実の問題を突き付けられたように感じた作品だった。

個人的おすすめ度 4.0

遠野物語(柳田 国男)

先日、「始まりの木」(夏川草介著)を読み、やはり「遠野物語」を読まなくてはと積読本から抜き出してじっくりと読んだ。少しずつ消化しながら読んだつもりだが、理解しきれていないところも多々ある。しかし、日本という国、そして日本人の感性というものの一端を感じることはできたように思う。

遠野地方に語り伝えられる信仰あるいは怪談のような物語は、不思議というより心にすっと入ってくるような話が多い。例えば、オシラサマやオクナイサマなどの信仰は、宗教かといわれると違う気がするが、説明はできなくても感覚として腑に落ちる。私自身、そもそも日本人にとっての宗教観は、いわゆる一神教でいう「宗教」とは異なるものだと感じていたが、そのことがこの物語を読んでいてその思いは確信に変わった。

巻末にある吉本隆明氏の解説も素晴らしく、この物語の理解を深めることに繋がった。明治四十三年に発表されて以来、今なお読み継がれている「遠野物語」は、人の心にある感性を伝えていくものであり、まさに民俗学の教科書ともいえる一冊である。

個人的おすすめ度 3.5

夜の谷を行く(桐野 夏生)

連合赤軍による事件が起こったのは私が生まれる数年前のこと。出来事としては知っていたが、極左集団によるテロ事件という程度の認識しかなかった。この作品の主人公は、連合赤軍に参加した一人の女性。逮捕されて服役したのち、当時の仲間との連絡もたったまま静かに暮らしていた。そこへ、かつての仲間の一人から連絡が来る。

事件当時、彼女たちはどのような世界を見ていたのか、なぜあのようなリンチ殺人事件へと発展していったのか、そこには表面的な報道だけでは見えてこない人間の姿があった。一線を越えてから雪崩を打つように止まらなくなってしまった狂気は、人間として誰もが陥る可能性があると感じた。

犯罪者として罪を償った彼女がいる一方、その家族らもまた大きな社会的制裁を受けた。本人と家族は別人格であり、犯罪とは関係ないというのは建前でしかなく、それは多くの事件で同様のことが起きているのだろうと想像した。センセーショナルな事件は、たんなるエンターテインメントのように報道され、その背景にある人間的な要素は「理解できない事柄」として葬り去られてしまう。

この作品のすばらしさは、そうした見えないところに焦点を当て、人間の本質をついているところにあると思う。驚きのラストに繋がる物語の構成も非の打ちどころがなく、心をえぐられるような一冊だった。

個人的おすすめ度 5.0

百年法(山田 宗樹)

コロナ渦の今だからこそ読むべき作品である。

HAVIという技術によって老いることがなくなった人間。しかし、人が死ななくなると社会の新陳代謝が停滞するため、施術から百年後に強制的に死ぬことが求められる。見た目は若いが、超高齢化社会を迎えた日本が抱える問題は、現在に本の姿にピタリと重なる。

新たな世代のためにどうしたらいいのかといった思考や、未来の社会のために何を残すのかといった思考よりも、自分自身の幸せをひたすら追い求めることが優先される社会。それはやがて、死をも拒否して生きたいという願望へと繋がっていく。

不老不死をテーマとする作品は小説でも漫画でも多数あるが、この物語は圧倒的なエンターテインメント性と、問題提起の的確さを併せ持った名作である。前半で綿密に張り巡らされた伏線が、後半になって次々と回収されていく様は見事としか言いようがなく、そのことは今を生きる我々の行動が未来を作るのだということの現れでもある。

終章にはまさに今考えるべきことが込められたメッセージがある。今この時、この本を読むことができてよかった。

個人的おすすめ度 4.5

江田島殺人事件(内田 康夫)

学生時代に読み漁っていた内田康夫の浅見光彦シリーズ。1988年に出版された作品だが、妻の故郷である江田島が舞台ということで、現地の地図などと照らし合わせながら読んだ。

江田島と言えば、かつて海軍のエリートを養成した海軍兵学校──現在は海上自衛隊の幹部候補が学ぶ場所である。観光地としても有名だが、その場所で事件が起こり、浅見光彦が現地を訪れるという、一見するといつもの旅情ミステリーのようである。

しかし、趣が異なるのは、主人公や登場人物が、戦争や軍、あるいは自衛隊への考えを語る部分で、この本が出版された当時の社会情勢を反映しているようにも感じる。ノンポリという言葉も出てくるが、政治に興味がないと言いつつ、最近の選挙にもいかない人たちののような無関心ではない。むしろ社会への問題意識は高く、何らかの形で社会を少しでも良くしたいという志を持っている。

この作品は、単にミステリーとしてさらりと楽しむこともできるが、江田島の旧海軍兵学校を訪れたうえで、物語と重ねて読むと、登場人物たちの思いをより想像できるのかもしれない。

個人的おすすめ度 3.5

始まりの木(夏川 草介)

未来を照らす一冊を見つけた。

民俗学を専攻する大学院生の藤崎千佳は、偏屈な民俗学者・古屋神寺郎の元で学んでいる。千佳は、脚の悪い古屋の荷物持ちとして各地を一緒に巡りながら、民俗学とは何を学ぶ学問なのかということから、そもそも何のために学ぶのかという根本的な問題を考えるようになる。

物語は柳田國男の遠野物語から始まり、柳田國男が追い求めた「日本人とは何か」ということが少しずつ描かれていく。例えば、一神教の宗教では神は信じる者だが、日本における八百万の神は感じるものであるという説明には心の底から共感した。あるあらゆるものにその存在を感じ、感謝しながら生きているのが日本人であるという。しかし、そのことを忘れ、本当に無宗教になってしまいつつある日本人を憂い、このままでは滅んでいくだろうと嘆くのである。

それでは、滅んでしまわないために何が必要なのか。未来のために何を学ぶべきなのか。そこで、民俗学の出番なのである。

ということで、積読本になっている遠野物語もしっかり読まなくては!

個人的おすすめ度 5.0

雄気堂々(城山 三郎)

日本資本主義の父とされる渋沢栄一の半生は、いつ読んでも心が熱くなる。幕末に生まれ、幕府の在り方に憤りを感じながらも、やむを得ず徳川慶喜に仕えることになるのだが、一つ一つの出会いを無駄にすることなく、ピンチをチャンスととらえて常に前向きに取り組んでいく姿勢が凄い。その根底には、すべての人が幸せになれる社会にしていきたいという大きな志があり、決して消えない情熱が感じられる。

明治に入り、役人として新しい日本の在り方を模索し、さらにその枠に収まりきらずに実用の世界へと身を移していくのだが、その人脈の広がり方がとてつもない。人と人の間を絶妙なバランスでつないで、結果として自ら望むところへと物事を進めていく様子は、ビジネスパーソンとして手本とすべき在り方である。

一方、渋沢栄一とともに描かれている渋沢喜作の人生もまた渋沢栄一以上にドラマチックであり、あるいは悪役として描かれている岩崎弥太郎なども、きっとこの時代を必死に生き抜いたビジネスパーソンであっただろう。現代に繋がる企業も多数生まれていることからも、歴史を学ぶことは自らが生きる社会を学ぶこととイコールであると強く感じた。

この作品は昭和四十七年に刊行されたものだが、今読んでなお色あせることがない。ひとつ感じたことは、明治維新を起こした人々、あるいは徳川慶喜や旧幕府の人々、そのほか多くの人々が日本の発展を強く願い、そのために命を賭したということである。翻って、今の自分自身がどれくらいの覚悟をもって日々を生きているのかと自問自答し、ただ愚痴ばかりを言っていてはいけないなと思うに至った。

個人的おすすめ度 4.0