サガレン 樺太/サハリン 境界を旅する(梯 久美子)

海に囲まれた日本では、大地の上にある国境線というのは実感がない。しかし、樺太(サハリン)にはかつて国境があった。

第一部は寝台列車で同地を縦断する旅、そして第二部は宮沢賢治が樺太を訪れた際の足跡を追う旅。鉄道に揺られ、過去と現在を何度も往復しながら、自分自身が旅をしているかのような気持ちになってページを捲った。

そこには、アイヌをはじめもともと住んでいた人々の歴史があり、ロシア人や日本人、あるいはポーランド人など、それぞれの事情でそこにたどり着き、暮らすことになった人々の姿があった。鉄道もまたその歴史を重ね、現在走っている鉄道だけでなく、廃線跡を訪れてその歴史を振り返るのもまた素敵である。

一方、宮沢賢治が樺太を目指したのは妹・トシ子を失った直後のことであり、その作品と重ね合わせて読んでいくと、見事にその旅のあり様が浮かび上がってくる。かつて読んだ作品であっても、新たな知識を加えて読むと感動が何倍にもなった。

読んでいて、成田空港からサハリンへの直行便があることが分かり、できれば一度行ってみたいという気持ちになった。実は沖縄へ行くよりも近いのである。コロナ禍が落ち着いたら、最初に出かけるのはこの場所かもしれないと思ったりしている。

個人的おすすめ度 4.0

素敵な日本人(東野 圭吾)

バラエティに富んだ九本の短編はどれも外れなし。そつのない面白さは流石としか言いようがない。

皮肉な話もあれば、心温まるいい話もあるが、本書のタイトル「素敵な日本人」の通り、人間の不完全さが素敵なドラマを織りなしている。互いに完璧ではないからこそ、時には激しく憎みあうこともあり、足りないからこそお互いを思いやることもできるのだと思う。

この中で特に気に入った作品は、娘の結婚に際して亡き妻を思う「今夜は一人で雛祭り」、疑似的な子育てを体験する「レンタルベビー」、そして勘当された息子と余命宣告された父を描いた「水晶の数珠」。それぞれの結末が本当に印象的で、特定ジャンルには収まらない発想の広さが凄い。

手軽に楽しめる作品ばかりなので、こういう本はいつも一冊はカバンに潜ませておきたいものである。

個人的おすすめ度 3.5

聖なるズー(濱野 ちひろ)

人は動物を恋人と同じように対等に愛すことができるのか。
動物との性愛について調べ始めた著者出会ったのは、まさに動物をパートナーとして真剣に生きる人々ズーであった。

人間と同じように動物にとってもセックスの問題があるという観点や、セクシャリティの追及、あるいは人間にとってセックスがどのようなものかといった問題提起は、簡単なようでとても難しい。単純ではないし、一人ひとり違うということを互いに受け入れなければ理解できないこともある。

ズーと、ビースティ(獣姦愛好者)、ズー・サディスト(動物への性的虐待者)との違いについて、ズーが動物と愛をもって理解しあうことを目的とし、その結果として動物との交わりがあるのに対し、ビースティは愛情を持たず動物とのセックスだけを目的とし、ズー・サディストは動物を苦しめることを目的としているという。これは人間同士でも同様のことが言える。性的暴力が顕在化すればわかるが、そうでないケースも多いのではないかと思う。

マイノリティが抱える問題を、「それはそれでいいんじゃない?」と他人事のように無視する人もいるが、それは彼らを批判する人と大差ないかもしれない。本書は、その問題が他人事ではなく、寄り添って考えるべきことなのだと気付かせてくれた。

個人的おすすめ度 3.5

カエルの楽園2020(百田 尚樹)

コロナ禍の状況をファンタジーに置き換えたカエルたちの物語。我が国が抱える問題をわかりやすくシンプルに描くと、きっとこんな世界観なのだろう。大変だ、大変だと騒いで、必死に対応しているように見えるが、客観的に見ればお笑いかと思うような現実。まさにカエルたちは私たちである。

お人よしのツチガエルたちだが、中には私腹を肥やして自分だけが良ければいいというツチガエルもいる。カエルのくせにお人よしというのも変なものだが、目先の情報に踊らされるカエルたちは、人がイイというよりその間抜けさによって自分たちの首を絞めている。カエルに首があればの話だが……。

この物語の結末は、バットエンディング、リアルエンディング、そしてグッドエンディングの三つが描かれている。それぞれに納得できるものであり、いずれの可能性もあるだろう。今読んでおいて、数年後にまたこの本を思い返して、物語と重ねてみると面白いかもしれない。その時に楽しむ余裕があることを願う。

前作「カエルの楽園」の続編だが、この一冊だけ読んでも問題なく楽しめる作品である。

個人的おすすめ度 3.5

一人称単数(村上 春樹)

久しぶりに読んだ村上春樹の本──。
自分の部屋の本棚にあるのを人に見られたら、なんとなく気恥ずかしい感じがするし、本屋さんで平積みになっているのを買うと、ハルキストを気取ってると思われるんじゃないかと自意識過剰になってしまう。
普段はもっとミーハーな本を読んでいるくせに、そんなことを考えながら、それでも買ってしまった一冊。

表題作を含む八編を収録した一冊。
どれもやっぱり村上春樹の世界どっぷりという感じで、わかるようで、わからないようで、作品の中である音楽を壁紙音楽と表現していたけれど、この本の中の短編もまた邪魔にならない心地よさで脳をふわりと通過していった。
それでも、あるタイミングでは唯我独尊の自己陶酔に浸るというか、マスターベーションに没頭した直後の恍惚と空虚さを感じて、少しの間は余韻が残ったりもしていた。

それぞれ違った色の作品ではあるものの、いつまでも青春が終わらないおっさんのような人が描く世界は、私の心にやさしくフィットした。

個人的おすすめ度 3.5

フィデル出陣 ポーラースター(海堂 尊)

キューバ革命を成功に導き、その後も長きにわたって国を支えてきたフィデル・カストロ。シリーズの前作と本作では、同氏がどのような幼少期を過ごし、そしてやがて革命に向かうようになっていくかを描いている。

チェ・ゲバラ、フィデル・カストロという二人の英雄の泥臭くドラマチックな生き方はとても魅力的で、また、その周囲の家族や闘争に参加した人々、あるいは独裁者らの人間臭さも本シリーズの見所である。

一方、私自身が知識不足であった中南米の闘争の歴史が随所で語られ、それぞれの国の特徴や現代に至る背景も知ることができ、膨大な資料がこれほど丁寧にまとめられ、かつ面白い物語として完成していることに驚きを感じた。

フィデル・カストロのような圧倒的な志と行動力を持った政治家は、日本には見当たらないどころか、世界を見渡しても滅多にいないだろう。以前からキューバという国に興味をもっていたが、この本を読んで、あらためて行ってみたいという気持ちが強くなった。

じっくりと時間をかけて読んでもらいたい本シリーズ、その第四巻目は納得するしかない一冊であった。

個人的おすすめ度 5.0

破局(遠野 遥)

自分は何者かであるかを深くは考えず、ただ何者かではあるのだろうと漠然と信じて、ただ本能のあるがままに日々を過ごす学生時代。何も考えずに熱くなれたラグビーがあったのはついこの前のこと。前の彼女と、今の彼女、自分にとって都合のよい存在かどうかは考えても、彼女たちにとって自分がどうであるかは考えない。そういう日常。

今どきの若者という言葉は、いつの時代も使われる。そして、実は若者はたいして変わっていないのではないかと思う。そうして大人になったつもりで、あるとき自分であったと思っていたその形は崩壊し、何物でもなかった自分に気づくことになる。破局の痛みを乗り越えられればいいが、現実逃避してしまうこともできる。主人公は見上げた空に何を思っただろう。

私自身も、多くの若者と同じように、そんな空っぽな人間だった時代があった。そのことをすぐに受け入れられたわけでもなかったが、それでも今を生きていられるのは、その空虚さを共感してくれる人がいたからだ。主人公にとって、彼女たち、あるいは先輩、後輩、いずれもその思いは得られなかったように思う。

久しぶりにそうした感情があったことを思い出した。
瑞々しさとは違った若さ故の虚無がそこにあった。

個人的おすすめ度 3.5

検事の死命(柚月 裕子)

検事・佐方シリーズほど安心して読める法定ミステリーはない。平成版水戸黄門というか、正義の味方ウルトラマンというか、とにかく表現は古いけれど、それくらい安定的に面白い。

シリーズ全作を通じて、とにかくテーマは人である。この人はなぜ今ここにいるのか、なぜこんなことをするのか、そこにはすべて理由がある。佐方の視点によって、隠されていた、あるいは当事者ですら気づいていなかった人の心が見えてくる。

本作では、佐方の父の真実が明らかになる。その父があったからこそ、佐方貞人という人は愚直に正しい道を歩もうとするのだろう。それは茨の道であり、敵は外ではなく身近なところにいる。本来、法の番人でなくてはならない人たちが、佐方の前に立ちはだかるのだが、彼らもまた葛藤しているのかもしれない。

佐方のような人ばかりであれば、世の中もっと良くなるのになと想像してみた。そのことはすなわち、自分自身が少しでも真っ当な生き方をすれば、世の中を良くできるかもしれないということである。

ちなみに、まったく個人的なことだが、物語の冒頭で小早川岳毅彦の伝説の三打席連続ホームランが出てきたことが非常に嬉しかった。

個人的おすすめ度 4.0

検事の本懐(柚月 裕子)

検事・佐方シリーズは本当に心に響く。連作短編のそれぞれに正義の物語があり、人が最後に人として踏みとどまる瞬間を感じて涙が零れた。佐方が対するのは、被疑者Aではなく、名前のある一人の人間である。森を見るのではなく樹を見るという姿勢は、本来、全ての人にとって大切な観点に違いない。

この本には五編の作品が収録され、第三話の「恩を返す」では学生時代の佐方が描かれ、また、第五話の「本懐を知る」では佐方の父について描かれている。淡々と仕事をする佐方の人間的なバックグラウンドが見えてきて、佐方という人並びに本シリーズへの思い入れが益々深まった。

第一話の「樹を見る」の佐方の言葉は胸に刺さった。第二話の「罪を押す」は一番泣いた。泣かずにはいられなかった。そして、第四話の「拳を握る」では、読んでいて本当に強く拳を握りしめた。何話が一番面白かった方と聞かれても、すべて面白かったとしか言いようがない。

続編も手元にあるので早速読み始めよう。

個人的おすすめ度 4.5

魂萌え!(桐野 夏生)

主人公は五十九歳の主婦。恙無い夫婦生活を送ってきた。しかし、夫が突然死してまもなく、夫の携帯電話に女性からの電話がかかってくる。夫の隠し事が明らかになり、また、息子と娘は母親の心など慮ることもなく相続の話をする。仲良くしていた同級生たちに悩みを打ち明けると、それぞれが勝手な助言をして、やがて今までの関係性も難しくなっていく。

一つひとつの出来事はありふれたことだが、それが自分の身に降りかかったとき、うまく対処できるかと言えば決してそうではない。だからこそ人間らしさがそこにあるのだが、他人に見せたくない恥ずかしい部分でもある。

この作品に出てくる女性たちは多少勝手に見えるが、男どもはとんでもなく勝手である。だが、確かにこんなものだなと納得してしまうのがこの作品の巧みさかもしれない。主人公だけでなく、この作品に登場する人々は誰もが普通の人であり、そうした人こそが魅力的で面白い。

本作品の映画を随分前に鑑賞した記憶があるが、それとはまた違った印象に感じたのは、自分自身が以前よりも主人公らの年齢に近づいたからかもしれない。吹っ切れたような読後感のある物語だった。

個人的おすすめ度 4.0