一人称単数(村上 春樹)

久しぶりに読んだ村上春樹の本──。
自分の部屋の本棚にあるのを人に見られたら、なんとなく気恥ずかしい感じがするし、本屋さんで平積みになっているのを買うと、ハルキストを気取ってると思われるんじゃないかと自意識過剰になってしまう。
普段はもっとミーハーな本を読んでいるくせに、そんなことを考えながら、それでも買ってしまった一冊。

表題作を含む八編を収録した一冊。
どれもやっぱり村上春樹の世界どっぷりという感じで、わかるようで、わからないようで、作品の中である音楽を壁紙音楽と表現していたけれど、この本の中の短編もまた邪魔にならない心地よさで脳をふわりと通過していった。
それでも、あるタイミングでは唯我独尊の自己陶酔に浸るというか、マスターベーションに没頭した直後の恍惚と空虚さを感じて、少しの間は余韻が残ったりもしていた。

それぞれ違った色の作品ではあるものの、いつまでも青春が終わらないおっさんのような人が描く世界は、私の心にやさしくフィットした。

個人的おすすめ度 3.5

フィデル出陣 ポーラースター(海堂 尊)

キューバ革命を成功に導き、その後も長きにわたって国を支えてきたフィデル・カストロ。シリーズの前作と本作では、同氏がどのような幼少期を過ごし、そしてやがて革命に向かうようになっていくかを描いている。

チェ・ゲバラ、フィデル・カストロという二人の英雄の泥臭くドラマチックな生き方はとても魅力的で、また、その周囲の家族や闘争に参加した人々、あるいは独裁者らの人間臭さも本シリーズの見所である。

一方、私自身が知識不足であった中南米の闘争の歴史が随所で語られ、それぞれの国の特徴や現代に至る背景も知ることができ、膨大な資料がこれほど丁寧にまとめられ、かつ面白い物語として完成していることに驚きを感じた。

フィデル・カストロのような圧倒的な志と行動力を持った政治家は、日本には見当たらないどころか、世界を見渡しても滅多にいないだろう。以前からキューバという国に興味をもっていたが、この本を読んで、あらためて行ってみたいという気持ちが強くなった。

じっくりと時間をかけて読んでもらいたい本シリーズ、その第四巻目は納得するしかない一冊であった。

個人的おすすめ度 5.0

破局(遠野 遥)

自分は何者かであるかを深くは考えず、ただ何者かではあるのだろうと漠然と信じて、ただ本能のあるがままに日々を過ごす学生時代。何も考えずに熱くなれたラグビーがあったのはついこの前のこと。前の彼女と、今の彼女、自分にとって都合のよい存在かどうかは考えても、彼女たちにとって自分がどうであるかは考えない。そういう日常。

今どきの若者という言葉は、いつの時代も使われる。そして、実は若者はたいして変わっていないのではないかと思う。そうして大人になったつもりで、あるとき自分であったと思っていたその形は崩壊し、何物でもなかった自分に気づくことになる。破局の痛みを乗り越えられればいいが、現実逃避してしまうこともできる。主人公は見上げた空に何を思っただろう。

私自身も、多くの若者と同じように、そんな空っぽな人間だった時代があった。そのことをすぐに受け入れられたわけでもなかったが、それでも今を生きていられるのは、その空虚さを共感してくれる人がいたからだ。主人公にとって、彼女たち、あるいは先輩、後輩、いずれもその思いは得られなかったように思う。

久しぶりにそうした感情があったことを思い出した。
瑞々しさとは違った若さ故の虚無がそこにあった。

個人的おすすめ度 3.5

検事の死命(柚月 裕子)

検事・佐方シリーズほど安心して読める法定ミステリーはない。平成版水戸黄門というか、正義の味方ウルトラマンというか、とにかく表現は古いけれど、それくらい安定的に面白い。

シリーズ全作を通じて、とにかくテーマは人である。この人はなぜ今ここにいるのか、なぜこんなことをするのか、そこにはすべて理由がある。佐方の視点によって、隠されていた、あるいは当事者ですら気づいていなかった人の心が見えてくる。

本作では、佐方の父の真実が明らかになる。その父があったからこそ、佐方貞人という人は愚直に正しい道を歩もうとするのだろう。それは茨の道であり、敵は外ではなく身近なところにいる。本来、法の番人でなくてはならない人たちが、佐方の前に立ちはだかるのだが、彼らもまた葛藤しているのかもしれない。

佐方のような人ばかりであれば、世の中もっと良くなるのになと想像してみた。そのことはすなわち、自分自身が少しでも真っ当な生き方をすれば、世の中を良くできるかもしれないということである。

ちなみに、まったく個人的なことだが、物語の冒頭で小早川岳毅彦の伝説の三打席連続ホームランが出てきたことが非常に嬉しかった。

個人的おすすめ度 4.0

検事の本懐(柚月 裕子)

検事・佐方シリーズは本当に心に響く。連作短編のそれぞれに正義の物語があり、人が最後に人として踏みとどまる瞬間を感じて涙が零れた。佐方が対するのは、被疑者Aではなく、名前のある一人の人間である。森を見るのではなく樹を見るという姿勢は、本来、全ての人にとって大切な観点に違いない。

この本には五編の作品が収録され、第三話の「恩を返す」では学生時代の佐方が描かれ、また、第五話の「本懐を知る」では佐方の父について描かれている。淡々と仕事をする佐方の人間的なバックグラウンドが見えてきて、佐方という人並びに本シリーズへの思い入れが益々深まった。

第一話の「樹を見る」の佐方の言葉は胸に刺さった。第二話の「罪を押す」は一番泣いた。泣かずにはいられなかった。そして、第四話の「拳を握る」では、読んでいて本当に強く拳を握りしめた。何話が一番面白かった方と聞かれても、すべて面白かったとしか言いようがない。

続編も手元にあるので早速読み始めよう。

個人的おすすめ度 4.5

魂萌え!(桐野 夏生)

主人公は五十九歳の主婦。恙無い夫婦生活を送ってきた。しかし、夫が突然死してまもなく、夫の携帯電話に女性からの電話がかかってくる。夫の隠し事が明らかになり、また、息子と娘は母親の心など慮ることもなく相続の話をする。仲良くしていた同級生たちに悩みを打ち明けると、それぞれが勝手な助言をして、やがて今までの関係性も難しくなっていく。

一つひとつの出来事はありふれたことだが、それが自分の身に降りかかったとき、うまく対処できるかと言えば決してそうではない。だからこそ人間らしさがそこにあるのだが、他人に見せたくない恥ずかしい部分でもある。

この作品に出てくる女性たちは多少勝手に見えるが、男どもはとんでもなく勝手である。だが、確かにこんなものだなと納得してしまうのがこの作品の巧みさかもしれない。主人公だけでなく、この作品に登場する人々は誰もが普通の人であり、そうした人こそが魅力的で面白い。

本作品の映画を随分前に鑑賞した記憶があるが、それとはまた違った印象に感じたのは、自分自身が以前よりも主人公らの年齢に近づいたからかもしれない。吹っ切れたような読後感のある物語だった。

個人的おすすめ度 4.0

首里の馬(高山 羽根子)

沖縄の郷土資料館で資料整理を手伝う主人公の未名子は、ある変わった仕事を始める。それは、遠くにいる人たちにオンラインでクイズを出題して交流するというものだった。そして、ある日、未名子が暮らす家の庭に大きな動物が迷い込んでくる。

現代の沖縄、そして戦前・戦中の沖縄は、果たして資料を通じて繋がっているといえるのか。その知識は人を幸せにするのか。クイズで知識を交換し合うことにはどんな意味があるのか。今ある命はどのように燃やしていけばいいのか。

沖縄の穏やかな風景に、時には台風が吹き荒れ、その合間にまた青空が覗く様子は、悲しい歴史を乗り越えて今に至る沖縄を象徴しているかのようである。

物語が終わっても、未名子やその周囲の人々には未来がある──そのことを感じさせる結末であった。

個人的おすすめ度 3.0

護られなかった者たちへ(中山 七里)

福祉保険事務所に勤める男が殺された。手足を縛られ、そのまま放置されたことによる餓死であった。なぜこんなにも惨い死を迎えることになったのか。その背後には、人を護るはずの社会保障制度が、人を切り捨てている現実があった。

子供のころ、もし目の前に困っている人を見つけたら、助け合えるのが人間だと教えられた気がする。しかし、社会に出てみると、世の中はそうではないことに気づかされる。そして、その現実に目を背けないと自分の心が護れない瞬間があるのかもしれない。

国として誰を護り、誰も護らないのか、それを決める権利は誰にあるのだろう。生活保護という制度が何のために存在するのか、憲法が保障する人間らしい生活とは何なのか、国民のだれもが幸せに暮らせるようにするために何を考えてなくてはいけないのか、そんな当たり前のことも、自分自身や近しい人が困難に直面しない限り、考える機会は少ないだろう。

格差社会、貧困、そうした言葉が多く聞かれるようになっている昨今、この物語は多くの現実を伝えていると感じた。

個人的おすすめ度 4.0

ビブリア古書堂の事件手帖II ~扉子と空白の時~(三上 延)

待望のビブリアシリーズ、今回は一冊丸ごと横溝正史がテーマとなっていた。幻の作品「雪割草」、最高傑作のひとつである「獄門島」、そして直筆原稿の行方。ある家族の問題と、これらの作品がリンクして、古書を巡るミステリーが展開する。

このシリーズを読むたびに、紹介されている本を読みたくなるし、古書店にも行きたくなる。電子出版が増えている昨今だからこそ、紙という媒体にも一層魅力を感じてしまうのは、ある意味ではノスタルジーなのかもしれない。

不勉強なため、横溝正史という人は金田一シリーズのイメージであったが、その多彩さには驚かされた。その素晴らしさに気づかせてくれた本書に感謝したい。それにしても、小学三年生の読書感想文で「獄門島」が出てきたら、やっぱり驚くだろうなと思う。子供らしからぬ扉子のキャラクターも悪くない。

読めば読むほど楽しいビブリア堂の事件手帖。読み終えた途端、早く次の作品が出ないかなと期待している自分がいる。

個人的おすすめ度 4.0

チーム・オべリベリ(乃南 アサ)

明治時代になり、文明開化の波が日本の各地にも広がっていった時期、北海道のオベリベリ(帯広)という新天地を目指した開拓者たちがいた。依田勉三が率いる晩成社が選んだその場所は、和人にとっては未開の地であり、アイヌの人々が暮らす場所でもあった。

主人公はの鈴木カネは、夫となる渡辺勝、そして兄である鈴木銃太郎らと共にオベリベリへと向かう。胸を高鳴らせてその地へ入った彼らの前には、過酷な現実が待ち受けていた。厳しい環境はやがて人々の間にも軋轢を生み、小さな村は崩壊の危機に瀕していく。

それでもなお前を向いて、忍耐強く頑張っていこうとする人々の姿には心を打たれる。主人公が苦しい胸中を誰にも打ち明けられないまま、それでも日々淡々となすべきことをなしていく姿勢には本当に頭が下がる。しかしそれは、そこで踏ん張り続けて礎を築いたすべての人に言えることだと思う。

本作品は晩成社の創成期を描いたもので、今の帯広の風景と重ねてみると、とても感慨深いものがある。そして、最後のシーンがとても素晴らしい。これを物語の終わりにしたというのが、ああ、やられたなという感じで、最高の読後感であった。

個人的おすすめ度 4.5