臨床心理(柚月 裕子)

障害者施設で手首をカットして病院に運ばれた少女は、本当に自殺だったのか。同じ施設に入所している青年は、少女の死を自殺ではないと訴える。臨床心理士の主人公が、青年の担当となってこの事件を調べていくと、障害者をめぐる社会の問題が明らかになってくる。

青年は、人が発した言葉に色が見えるという。それが悲しみの色なのか、喜びの色なのか、あるいは本当なのか、嘘なのか。共感覚と呼ばれるこの特異な能力は稀なケースとして現実に確認されているが、実際にその人間と対面したとき、それが本当なのか判断するのは難しい。

この物語の大きなテーマは障害者の問題であり、その中に共感覚のように他人に分かりえない感覚を持っている相手とどう理解しあうかということがある。本作品の価値は、単なるエンターテインメントとしての面白さだけでなく、そうした社会の問題を扱ったところにもあるだろう。

「このミステリーがすごい!」大賞も納得の、素直に楽しみながらも考えさせられる作品であった。

個人的おすすめ度 3.5

天上の麒麟 光秀に啼く(茶屋 二郎)

人間の歴史は、実際の起こったことの間に、多くの人間の感情が介在している。それがどんなものだっかのかは想像するしかない。

本作は、本能寺の変を巡る歴史ミステリーである。
信長を誰が殺したのか。
光秀は謀叛を起こしたのか。
なぜ秀吉はあれほど早く駆けつけることができたのか。
光秀は本当に山崎の合戦の直後に本当に死んだのか。
そもそも信長はなぜ本能寺で茶会を開き、そこに宿泊したのか。
多くの謎を想像し、紡ぎ合わせていくと、そこに人間のドラマが見えてくる。

教科書で知る歴史は、事実の検証の積み重ねかもしれない。しかし、小説は事実の裏にある心を描き出す。過去のことが、今起こっているかのように目の前で繰り広げられるのである。

歴史は勝者によって作られるというが、そのことを踏まえて過去を見ると、新たな物語が見えてくる。

個人的おすすめ度 3.5

最後の証人(柚木 裕子)

検事を辞めて弁護士になった貞方は、あるホテルで起きた殺人事件の被告の弁護を引き受ける。一見、ただの男女の諍いのような事件だが、突き詰めていくとまったく異なる景色が見えてくる。

貞方は、罪はまっとうに裁かれるべきだという。そして、罪を犯したものは真実を述べなくてはならないという。誰もが罪を犯してしまうことがあるが、それを隠して否定し続けるのか、それとも認めて受け入れるのかによって、まっとうな人間として生きられるかどうかが分かれるのだろう。

物語は、七年前の事故へと遡り、法廷のシーンと並行するように事実が少しずつ明らかになっていく。構成が非常に巧みなミステリーであり、次々と読みたくなる展開が素晴らしい。そして、事件の関係者のヒューマンドラマでもあり、貞方の正義を追求する硬派な法廷小説でもある。

検事・貞方シリーズの第一作は噂に違わぬ面白さであった。

個人的おすすめ度 4.5

逃亡者(中村 文則)

かつての戦争で、熱狂(ファナティズム)と称されたトランペット。戦場で多くの血を流させ、軍楽隊に属したトランぺッターをも殺したと云われる楽器。それを手にしたことで命を狙われることになる主人公のライター。

この楽器が発見された場所でのベトナム人女性との出会いから、長崎の潜伏キリシタンの歴史へと話は及び、やがてバラバラだった物語が現実へと終息していく。そして逃亡の果てに見えてきたものは……。

主人公の問いかけは、読む者の脆い正義感に疑問を投げかける。それは単なる自己保身、欺瞞ではないのか、と。尊い精神は本当に望まれたものなのか、愛とは何か、と。

この物語には、文字として書かれていない物語がたくさんある。それを想像しながら読むことにこの本の面白さを感じる。人間はときに、美しさのみに目を向け、愚かさから背けてしまう。だから、取り返しのつかない愚かな道を選択してしまう。ただし、それは必ずしも誤った道とは言えず、長い歴史の中では意味のある愚かさでもあるように思う。

個人的おすすめ度 4.0

心にいつも猫をかかえて(村山 早紀)

著者がこれまで出会ってきた賢い猫たちの話。それから、猫が出てくる四つの季節の物語。猫と共に暮らす中で感じる喜び、そして別れの悲しさ。猫がいない人生など考えられないというのは、きっと猫と共に暮らす多くの人が感じることだろう。

頁を捲ると猫の写真も出てくる。凛々しい表情で、時には飄々とした顔で人間を見つめる猫たち。こちらの感情など軽く見透かされているような気がする。だから人間は、猫の前では素直になれるのかもしれない。

また、猫と共に描かれる長崎の風景も美しい。私は長崎には一度しか行ったことがないが、その美しさはこれまで訪れた都市の中で最も印象に残っている。その街を闊歩する猫たちがとても微笑ましい。

この本を読んでやっぱり思うことは、猫と共に生きたいということである。こうして感想を書いている横で、うちの猫が寝返りを打って私を見上げた。

個人的おすすめ度 3.5

もみじの言いぶん(村山 由佳)

17歳であちらの世界へ行ってしまった猫のもみじ。
もみじの視点から描くかーちゃん(著者)ととーちゃん、それからほかの猫たちとの日々。
表情豊かな写真とともに関西弁で語られるフォトエッセイ。

猫と暮らしたことある人、特に猫を亡くしたことがある人にとっては、あぁ、わかるわかると感じることがたくさんある。
猫はとても賢くて、人間のことをよく観察している。
勝手に生きているように見えて、実はとても愛情深く、そして寂しがりだと思う。
ま、そう思うのは人間の勝手である。

言葉のひとつひとつがとてもやさしい。
文句の端々に愛を感じる。
もみじもおかーちゃんも、お互いを深く愛しているんだろう。
だから読んでいて心がぬくぬくと温かくなる。

うちの子(猫)もきっとこんな風にいろいろ感じて、考えて、毎日一生懸命に生きているんだろうと想像してみる。
猫が幸せそうにしていることが、下僕(飼い主)にとって何よりの喜びである。

個人的おすすめ度 3.5

八本目の槍(今村 翔吾)

羽柴秀吉が柴田勝家を破った賤ケ岳の戦いにおいて、武功を挙げた秀吉の近習7人は、賤ケ岳の七本槍と称賛された。彼らはいずれも秀吉によって見出された者たちで、その発展に大きく貢献した者たちであった。しかし、賤ケ岳でも同じく戦い、その後の豊臣家の発展を支えたもう一本の槍があった。八本目の槍、石田三成である。

この物語は、七本の槍の一人ひとりの視点から、彼らが互いに切磋琢磨して成長し、やがてこの国を変えていくようになるまでを描いた作品である。三成の視点から描かれる章が存在しないが、その存在感は圧倒的である。

虎之助(加藤清正)、助右衛門(糟屋武則)、甚内(脇坂安治)、助作(片桐且元)、孫六(加藤嘉明)、権平(平野長泰)、市松(福島正則)、そして佐吉(石田三成)の八人は、互いに言いたいことを言い合える素晴らしい仲間であった。それぞれの人生はみな一筋縄では語れず、それ故に読んでいて涙してしまうシーンもあった。

皆性格も気性も違うのだが、それぞれに感情移入してしまうのは、著者の表現力の高さによるところだろうか。読み終えた瞬間に一抹の寂しさも感じる。彼らが今の時代にはいないと気づくからである。

個人的おすすめ度 4.5

三体II 黒暗森林(劉 慈欣)

本格的なSFがこれほど面白いと思ったのは久しぶりだ。第一弾は確かにプロローグに過ぎなかったのだろう。第二弾となる本作では、三体文明からの侵略の危機に晒された地球人の行動が描かれている。

前作で主人公として描かれていた葉文潔は亡くなり、その娘の知り合いであった羅輯を含む四人が面壁者という特殊な役割を与えられる。このアイデアも去ることながら、様々な事象や取り組みの科学的な裏付けが素晴らしい。そして、難しいはずの技術的な説明が、恐ろしく分かりやすく記述されていて、物語の世界観が頭の中にどんどん広がっていった。

第二部は上下巻で、三章に分けられているが、タイトルとなっている黒暗森林は第三章にあたる部分で、それまで張られてきた伏線が回収されながらも、さらに来年出版されるという第三部へ向けての要素も散りばめられているのだろう。

宇宙には人間以外にも知的生命体がたくさん存在している。しかし、我々はそれを発見することができないのはなぜか。三体文明との邂逅が人類に齎すものは何か。あるいは、三体文明にとって我々地球人との出会いはどんな意味を持つのか。

これから読む人には先入観なく読んでもらいたいので、これ以上の説明はしないことにする。しかし、誰もがこの面白さに圧倒されることは間違いない。

個人的おすすめ度 5.0

ワイルドサイドをほっつき歩け ハマータウンのおっさんたち(ブレイディみかこ)

イギリスの労働階級のおっさんたちを描いたドキュメントだが、彼らの生き方から社会全体の在り様が見えてくる。特に、ブレグジット(EU離脱)を巡る人々の考えが結構深堀されていて、気づかされることがいくつもあった。労働党を支援してきた労働者階級の人たちが、なぜ離脱を支持したのかという背景は、表層的なメディアの報道ではわからなかった生の人間の声があった。

実際、個人を見ていくとその価値観は多様で、女や酒にだらしない人もいれば、ものすごくパワフルに生きている人もいるし、破天荒な生き方をしている人もそれなりにいる。そして誰もが愛すべき人であり、大切な社会の一員である。

読みながら笑ってしまうことも多々あり、笑いながらふと気づくと、それは自分自身にも言えることだったりする。そりゃそうだな、同じおっさんだもんな、と思ったりして、妙に親近感を感じてしまった。

後半部分には、イギリスの階級社会の現状がとても分かりやすくまとめられている。ストリクトな階級社会で育ってきた人間の意識はなかなか変わらないが、社会構造は急速に変化していて、そのギャップが生まれていることが理解できた。そこには、イギリス独自の問題もあるが、日本にも共通する点も多くあり、世界の縮図を見るような気がした。

こんな本を書けるブレイディみかこさんも、おっさんの心を持っている人なんじゃないかなぁと、失礼な感想ではあるが、親近感を感じた次第である。

個人的おすすめ度 4.0

能楽ものがたり 稚児桜(澤田 瞳子)

能楽の曲目をベースにした八つの物語。安易なハッピーエンドではなく、逃れられない人間の業が溢れていて、能面の下にある人間の本性に怖さを感じた。

山の中で山姥の舞を見せる遊女の心中を描いた話や、裏切られてもまた信じたい女の話。そして、表題にもある稚児桜は、幼くして捨てられた子供の話。大海人皇子が大友皇子と闘うことを決意するときに同行した女の話。山中で出会った男の死を告げに陸奥まで旅する男の話。家出した姫を屋敷へ無事に帰したい乳母の話。扇をくれた男を追って宿を飛び出した遊女の話。光源氏と葵上を見つめる醜女の話。

どれもこれも、一筋縄ではいかない人々の姿が描かれていて、その中のいくつかには自分や自分が関わってきた人に重なることもたくさんあった。いつの時代も人間の心はそれほど変わらないものなのだろう。

余談ではあるが、本作の直木賞ノミネートに際して、淡交社という出版社を初めて知った。茶道の専門雑誌や書籍を出版している会社で、本作品は月間なごみというお茶の雑誌に掲載された作品が文庫化されたものである。

素敵な本を世に送り出してくれた淡交社と、日本文化の素晴らしさもあわせて教えてくれた著者に心より感謝申し上げたい。

個人的おすすめ度 3.5