江田島殺人事件(内田 康夫)

学生時代に読み漁っていた内田康夫の浅見光彦シリーズ。1988年に出版された作品だが、妻の故郷である江田島が舞台ということで、現地の地図などと照らし合わせながら読んだ。

江田島と言えば、かつて海軍のエリートを養成した海軍兵学校──現在は海上自衛隊の幹部候補が学ぶ場所である。観光地としても有名だが、その場所で事件が起こり、浅見光彦が現地を訪れるという、一見するといつもの旅情ミステリーのようである。

しかし、趣が異なるのは、主人公や登場人物が、戦争や軍、あるいは自衛隊への考えを語る部分で、この本が出版された当時の社会情勢を反映しているようにも感じる。ノンポリという言葉も出てくるが、政治に興味がないと言いつつ、最近の選挙にもいかない人たちののような無関心ではない。むしろ社会への問題意識は高く、何らかの形で社会を少しでも良くしたいという志を持っている。

この作品は、単にミステリーとしてさらりと楽しむこともできるが、江田島の旧海軍兵学校を訪れたうえで、物語と重ねて読むと、登場人物たちの思いをより想像できるのかもしれない。

個人的おすすめ度 3.5

始まりの木(夏川 草介)

未来を照らす一冊を見つけた。

民俗学を専攻する大学院生の藤崎千佳は、偏屈な民俗学者・古屋神寺郎の元で学んでいる。千佳は、脚の悪い古屋の荷物持ちとして各地を一緒に巡りながら、民俗学とは何を学ぶ学問なのかということから、そもそも何のために学ぶのかという根本的な問題を考えるようになる。

物語は柳田國男の遠野物語から始まり、柳田國男が追い求めた「日本人とは何か」ということが少しずつ描かれていく。例えば、一神教の宗教では神は信じる者だが、日本における八百万の神は感じるものであるという説明には心の底から共感した。あるあらゆるものにその存在を感じ、感謝しながら生きているのが日本人であるという。しかし、そのことを忘れ、本当に無宗教になってしまいつつある日本人を憂い、このままでは滅んでいくだろうと嘆くのである。

それでは、滅んでしまわないために何が必要なのか。未来のために何を学ぶべきなのか。そこで、民俗学の出番なのである。

ということで、積読本になっている遠野物語もしっかり読まなくては!

個人的おすすめ度 5.0

雄気堂々(城山 三郎)

日本資本主義の父とされる渋沢栄一の半生は、いつ読んでも心が熱くなる。幕末に生まれ、幕府の在り方に憤りを感じながらも、やむを得ず徳川慶喜に仕えることになるのだが、一つ一つの出会いを無駄にすることなく、ピンチをチャンスととらえて常に前向きに取り組んでいく姿勢が凄い。その根底には、すべての人が幸せになれる社会にしていきたいという大きな志があり、決して消えない情熱が感じられる。

明治に入り、役人として新しい日本の在り方を模索し、さらにその枠に収まりきらずに実用の世界へと身を移していくのだが、その人脈の広がり方がとてつもない。人と人の間を絶妙なバランスでつないで、結果として自ら望むところへと物事を進めていく様子は、ビジネスパーソンとして手本とすべき在り方である。

一方、渋沢栄一とともに描かれている渋沢喜作の人生もまた渋沢栄一以上にドラマチックであり、あるいは悪役として描かれている岩崎弥太郎なども、きっとこの時代を必死に生き抜いたビジネスパーソンであっただろう。現代に繋がる企業も多数生まれていることからも、歴史を学ぶことは自らが生きる社会を学ぶこととイコールであると強く感じた。

この作品は昭和四十七年に刊行されたものだが、今読んでなお色あせることがない。ひとつ感じたことは、明治維新を起こした人々、あるいは徳川慶喜や旧幕府の人々、そのほか多くの人々が日本の発展を強く願い、そのために命を賭したということである。翻って、今の自分自身がどれくらいの覚悟をもって日々を生きているのかと自問自答し、ただ愚痴ばかりを言っていてはいけないなと思うに至った。

個人的おすすめ度 4.0

コロナ脳 日本人はデマに殺される(小林 よしのり / 宮沢 孝幸)

日本におけるコロナの実態をきちんとした数字をもとに考えると、これはパンデミックというよりマスコミによって作り上げられたインフォデミックであると言えるだろう。危機を煽るばかりのメディア、それに流される政治、そして不安の中で心を病む国民、そうした現状に一石を投じる一冊である。

本当に緊急事態宣言は必要なのか、過剰な自粛生活がもたらしている負の部分になせ目を向けないのかなど、実際には多くの人が感じている疑問があるが、テレビではそうした発言はすべてカットされて放送されず、いまやインターネットですら情報が検閲されている。外出制限を強制しろという意見すらある現状、全体主義が受け入れられやすい風潮に恐ろしさを感じる。

今何をすべきか、どう行動すべきかを考えるうえで、読んでおくべき一冊だ。

個人的おすすめ度 4.0

さよならの儀式(宮部 みゆき)

表題作を含む8本の短編は、現代社会の問題を反映したファンタジー作品で、一編読み終えるごとにチクチクと見えない棘が刺さっていくような感覚があった。

家族の在り方を問う「母の法律」、監視社会をシニカルに描いた「戦闘員」、タイムスリップによって得られる幸せを描いた「わたしとワタシ」、ロボットと人間の関係を描いた「さよならの儀式」、突然の自己覚知が印象的な「星に願いを」、正義と復讐、善と悪がどこにあるのかがわからなくなる「聖痕」、戦前・戦中のドキュメントと勘違いしてしまいそうになる「海神の裔」、繰り返される人生とは何かが問われる「保安官の月日」。同じような作品はひとつもない。

個人的に好きなのは「さよならの儀式」、「母の法律」、そして「保安官の月日」だ。特に「さよならの儀式」は印象的なシーンが続くので、短編映画化されてもよさそうな展開である。

これだけバラエティに富んだ発想があるというのは流石。じっくりと楽しませていただいた。

個人的おすすめ度 3.5

もう、聞こえない(誉田 哲也)

男を殺してしまったと話した女性は、警察の取り調べに対して、女の声が聞こえるのだと言った。女性はなぜ男を殺そうとしたのか。そもそも男との関係はどのようなものなのか。そして、女の声とは一体何なのか。

事件は過去にさかのぼる。小さなころから仲が良かった二人の少女。小学校、中学校、高校と同じ時を過ごしていたが、やがて別々の人生を歩み始めるのだが、そのときある事件が起こる。そのことがあとに起こった事件とどう係わっていくのか、進むにつれて謎が明らかになっていく。

私自身は霊感というものとまったく無縁のようだが、もし期せずして誰かの声が聞こえたとしたら、それを受け入れることができるだろうか。そんなことを考えながら、かつて同じ場所に住んでいた人たちの数奇な物語を読んだ。

個人的おすすめ度 3.5

キアズマ(近藤 史恵)

ロードレースの世界を描いたサクリファイスシリーズの第四弾は、大学生になって初めてロードバイクに乗り、その世界にのめりこんでいく若者の物語。これまでの三作品はプロの世界だったが、より読者に近い視点で描かれた本作を読むと、よりロードレースの世界を身近に感じることができる。

大きなテーマとなっているのは、なぜ自転車に乗り、なぜレースを走るのか、それぞれの登場人物のモチベーションが丁寧に描かれている。彼らが抱える葛藤には胸が苦しくなるが、それを乗り越えていってほしいという願いを込めてページを捲った。

物語の最後のレース、主人公と共に走った仲間の行動にとても感動した。はっきり言えば、まるでまだ始まったばかりかのような展開でこの本は幕を閉じるが、その先に彼らの無限の可能性が見えている。キアズマというタイトルの説明が冒頭にあるが、読了したとき、その意味が自然と腑に落ちた。

個人的おすすめ度 4.0

サヴァイヴ(近藤 史恵)

自転車ロードレースのプロの世界を描くサクリファイスシリーズの第三弾。第二作までの主人公である白石誓だけでなく、ライバルでもあり仲間でもあった伊庭和実、そして白石がかつて所属していたチームのエースであった石尾豪ら、個性的な面々が人生かけて臨むロードレースの面白さや厳しさが描かれたオムニバス形式の物語。

これまでの物語の隙間を埋めていくエピソードにより、それぞれの人物像がより深く掘り下げられているのが面白い。そして、このシリーズ最大の見どころである臨場感溢れるレースシーンは、自転車レースを知らない私であってもまるでそこに参加しているかのような緊張感を味わうことができる。

トップ選手になるほど感じるであろう孤独は、本来、その立場に立たなければ実感することはできないが、極限まで追いつめられるようなギリギリの戦いは読んでいて胃がキリキリと痛むほどである。ロードレースにおける勝利とは、単に自分が勝つということではなく、自分を犠牲にしてチームの誰かを勝たせることでもある。そのあり方は、いわゆる社会における人間一人ひとりの役割と、その役割を演じることに対する複雑な感情を象徴しているようである。

さらなる続編もすぐに読みたいと思う。本当に心を揺さぶられる感動の物語である。

個人的おすすめ度 4.0

似せ者(松井 今朝子)

異なる立場から歌舞伎に携わる人々を描いた四編の物語は、いずれも心にじわりと染みる秀作だった。

表題作の「似せ者」は、亡き名優に仕えた男が、似た役者に二代目を名乗らせて育てていこうとする話である。名優と似せ者、そして主人公の男、それぞれの生き方から、人生の不思議さ、面白さが見えてくる。

「狛犬」は、二人の役者の男物語だが、四作のうちで最も泣けた作品だった。大切なものは失って初めて気づくということがある。そういう思いを背負って人は生きていかなくてはいけないのだろう。

「鶴亀」は、興行師の男が、馴染みの役者の引退興行を取り仕切るために奔走する。最後の興行のあと、役者の行動が問題になっていくが、やがて興行師の男がこの役者にこだわるもう一つの理由などが明らかになっていく。

「心残して」は、幕末の江戸で、三味線弾きの主人公と武士の男の友情にも似た物語である。残された者の思いが語られるシーンは、この本に収録された四編すべてに通じる、生きている者が背負っている物事の重さを感じた。

小説であることも忘れて没頭してしまうほど鮮やかに描かれた人々の姿。いつの時代も人の心は変わらないものである。

個人的おすすめ度 4.0

プライド (真山 仁)

ハゲタカシリーズの著者が描く短編シリーズは、社会問題を抉った鋭い作品ばかりだった。それぞれの作品を読むと、当時、似たようなニュースがあったなということを思い出す。企業や政治の不正は、単なる一企業や個人の問題ではなく、社会全体の問題として捉えなければならないのだが、実際には多くの無関心がそのことを引き起こしているのだと気付く。

農業問題、医療問題、食費安全問題など、本来、我々の身近にある事柄について、ニュースを見ながらどこか他人事のように感じていた自分がいる。憤りを感じたとしてもそれは一過性のもので、マスコミが報じなくなればやがて忘れてしまう。問題は何も解決していないにも拘わらず。

この本を読むと、常に様々なことに疑問を持ち、自らの頭で考えて行動することが何よりも必要だと理解できる。その行動が目先の不利益になるとしても、である。それぞれの物語には、行動したからといってすぐに社会が変革されていくような安易な希望はない。厳しい現実が突き付けられるばかりである。

それでも行動を起こしていかなければというモチベーションを与えてくれるのがこの本だ。社会を構成する一人として、しっかりと胸に刻んでおくべき作品だった。

個人的おすすめ度 4.0