夜の戦士 川中島の巻/風雲の巻(池波 正太郎)

甲賀忍者の丸子笹之助は、武田信玄暗殺の密命を受け、先輩格の忍者・孫兵衛と共に武田家に仕官する。しかし、忍者としては致命的な心の弱さを抱えた笹之助は、信玄の侍女に恋をし、さらには信玄にも惚れ込んでいく。

孤児であった自分を育ててくれた甲賀を裏切るのか、それともあくまで密命を遂行するのか迷いながらも、自らの理屈で自身の行動を肯定しようとする笹之助。それに対し、忍者としての仕事を全うしようとする孫兵衛との関係は、物語の冒頭からこの作品の一つの軸となっている。

一方、武田信玄の圧倒的な魅力は、笹之助が悩むのも仕方がないと思わせるほど素晴らしい。裏の世界でしか生きられない忍者という存在とは対照的に、常に光に照らされる信玄の生き様が目の前で繰り広げられていく。

歴史を知っていてなお、手に汗握る展開に目が離せなかった。個人的には、孫兵衛の頑なな生き方が悲しくもあり、その人物像に惹かれた。

四十年以上前に書かれた作品だが、本当に良い作品はいつ読んでも面白い。

個人的おすすめ度 4.0

婿殿開眼三 未熟なり(牧 秀彦)

勘定所勤めをする表の顔と、影御用で活躍する裏の顔を持つ笠井半蔵が、南町奉行のために尽力する。一方、南町奉行に恨みを抱く者たちとの人間関係もある半蔵が、自分の仕事にどう折り合いをつけていくのかというのも見所の一つである。

半蔵は強いが、圧倒的な強さとまではいかず、優しすぎるところが魅力でもあり弱さにもなってしまう。それ故に奉行らに利用されているようにも見え、歯がゆさを感じるところもある。

また、単なる勧善懲悪ではなく、単なる敵と味方という関係性でもない、複雑な絡み合いが面白い。薄っぺらな人間の表面ではなく、表と裏のある登場人物たちが命を懸けて生きている。

シリーズはまだまだ続く模様で、半蔵らの活躍から目が離せない。

個人的おすすめ度 3.5

神酒クリニックで乾杯を(知念 実希人)

個性的な医師たちが活躍するアクションミステリー。若き外科医・九十九勝己の新たな職場は、神酒ミキクリニックというVIPの治療を行うクリニックであった。院長の神酒をはじめ、超一流の腕を持った医師たちが行うのは、単なる医療行為だけではなかった。

そもそも主人公が以前の職場を辞めなくてはならかった原因は医療事故。神酒クリニックは、それを知ったうえで、行き場のない彼を温かく迎え入れてくれた。そして、彼に期待された役割は……。

いろいろと書きたいけれどネタバレになってしまうので書かないでおきたい。ミステリーだから謎が謎を呼ぶのは当然だが、知念実希人さんの作品らしく、医療という面からのアプローチは流石である。そして、謎を解いたと思ったらまた新たな謎があるという展開は最後まで次頁を楽しみに読むことができる。ちょっと長いが、エンターテインメントアクション医療ミステリーと表現するとシックリくる。

続編も出ているようなのでそちらもチェックしたい。
まずはソツのない面白さに乾杯!

個人的おすすめ度 3.5

オカマだけどOLやってます。完全版(能町 みね子)

オカマという表現は必ずしも正しくないように思うけれど、それも含めて読む人を幸せな気持ちにしてくれる素敵なエッセイ。著者が少年だった頃の話から、初めて女性として仕事を経験した話、就職して仕事をして女の輪の中で感じたこと、カミングアウトしたときの話などが、本当に楽しく描かれている。

性同一性障害というとなんとなく重々しいし、大変な人生だなと言われたりするのかもしれない。それを背負っている人という意味のないプロトな見かた。それがいかにナンセンスか……。

そんなことより、一度しかない人生、自分らしく悔いなく生きていければいいじゃないかと思う。そこに不幸はぜんぜんなくて、色々なことにチャレンジしていく面白さがある。

この本を読んでいると、至る所に「チン子ついています」みたいなことが直接的に書かれている。でも、いやらしさはまったくといっていいほどなく、ユーモアでつい顔が緩んでしまう。軽快な文章が本当に気持ちのいい、癒しのあるエッセイである。

個人的おすすめ度 3.5

掃除婦のための手引き書(ルシア・ベルリン)

ルシア・ベルリンの小説は、いずれも著者の人生の一部を切り取って脚色した作品だという。本書に収録された二十四編の短編は、それぞれの楽しみもあるが、読むほどに著者や家族、出会った人々などがリアルに感じられるような気がする。アメリカや中南米での生々しい生活が、ユーモアと悲しみを交えて綴られている。

表題作は、掃除婦が感じる日々の小さな不満や喜び、そして悲しみが滲んでいて、その結末が心に刺さる。アルコール中毒の母親や叔父、そして主人公など、アル中の大変さと悲哀、それでも愛さずにはいられない人の姿も印象的であるし、そうした人々の中で子供たちはそれを受け入れて逞しく生きてく様子も心に残る。

とにかく作品すべてがルシア・ベルリンの人生の結晶だと思って読んだ。この一冊には収録されなかった短編も多数あるとのことで、それらも翻訳されたらぜひ読んでみたいものである。どの作品が心の琴線に触れるかは、読むときの自分の状況によって異なるだろう。時間をおいて、何度も読み返したい一冊である。

個人的おすすめ度 3.5

イマジン(有川 ひろ)

映画の制作に携わりたかった良井良助が、ドラマや映画の制作現場で成長していく様子と、そこに携わる人々の情熱を描いた爽快なヒューマンコメディ作品。

夢をもって上京した良助は、挫折を味わって惰性のような日々を送っていた。そんなとき、強面の先輩から制作スタッフのアルバイトに誘われる。期間限定の仕事とは言え、それはやりたかった仕事でもあった。素晴らしい仲間との出会い、憧れの女優さんとの仕事、監督や出演者の関係、撮影現場ならではの問題など、主人公が新しいことを学んでいく過程がとてもドラマチックである。

特にいいなぁと思いながら読んだのは、良助が仕事をすることになった殿浦イマジンの面々。一癖も二癖もある人々は、誰もが人としてかっこいい生き方をしている。こんな場所に入ったから良助は成長できた一方、良助にはここに招かれるべき素質があったという見方もできる。実際の社会もそういうものだと思う。

有川ひろさんの作品で何度も描かれている自衛官の人たちの活躍もまたこの作品には描かれ、さらに映像化された作品群の話(たぶん)も出てくるので、有川さんの作品をたくさん読んでいる人にとってはさらに楽しめる一冊になっている。流石に安定した面白さで、最後まで気持ちよく、安心して読むことができた。

個人的おすすめ度 4.0

ハサミ男(殊能 将之)

ミステリー小説を読む醍醐味は、読者として見事に騙されるところにあると思っていたりする。あれこれ考えを巡らせ、予想をしてみて、見事にその裏をかかれたときの快感は何とも言えない。

この作品の主人公はハサミ男と呼ばれる殺人鬼自身である。そして、ハサミ男の犯行が疑われる第三の事件が発生するのだが、ハサミ男自身がその第一発見者となってしまう。そして、主人公自身がその事件の真犯人を探っていくことになる。コメディなのかと思ってしまう展開だが、著者のとてつもない構成力によってこの作品の圧倒的な面白さに引き込まれた。

殺人鬼の立場から事件の真相に迫ろうとする主人公。一方、警察はプロファイラーを擁してコツコツと事実を積み重ねてハサミ男に迫っていく。文面からも緊張感が漂うが、ちょうどよいタイミングで登場人物たちの和むような会話があり、最後は若手刑事と共に騙される心地よさを感じながらあっという間に読了まで駆け抜けた。

20年以上前に発表された作品だが、良質なミステリーはいつ読んでも面白い。

個人的おすすめ度 4.5

類(朝井 まかて)

森鷗外と妻、そしてその子供たちの生涯を、末子の森類の視点から描いた力作。千駄木の自宅の風景とそこに暮らす主人公らの姿が克明に浮かぶ。鷗外が亡くなってからも、家族の人生は鷗外なくして語られることはなかっただろう。

類は両親や兄姉たちからの愛情を一心に受けて育った。ある意味、愛があるのが当たり前の環境であり、経済的にも豊かであった。鷗外の息子という大きな看板を背負って大人になった類は、現実の自身の評価に苦悩するのだが、もし看板がなかったらもっと幸せ感じられていただろうか。この一冊を読み終えた私は、否だと思う。

医学部教授となった長男の於菟、作家として大成する長女の茉莉、多彩な才能を見せながら人への気遣いもできる次女の杏奴、それぞれが自分の道をしっかりを歩む中、類は苦悩の日々を送る。もしこの作品が彼以外を主人公にしていたら、きっと鷗外の子であることの大変さはあまり伝わらなかったかもしれない。類がどのように生きてきたのかということこそ、家族に残された大きな課題を象徴しているものだと感じる。

中盤から後半にかけては、もはや他人事とは思えず、類の家族になったつもりで読み進めた。そして、最後の一文を読み終えて唸った。人生とはかくも美しいと。

個人的おすすめ度 4.5

蒲生邸事件(宮部 みゆき)

1996年に発表されて以来、長く読み続けられている著者の代表作のひとつ(代表作がたくさんあるが)。平成が始まって間もない頃、主人公は受験のために上京してホテルに宿泊していた。受験が終わった直後、ホテルで大火災が発生し、その中で主人公は昭和十一年の二・二六事件の最中にタイムスリップしてしまう。

ホテルがあった場所は、かつて蒲生邸という邸宅があり、二・二六事件の際に蒲生大将が自決した場所であった。主人公はその家に入り込むことになるが、戦争を知らない世代の十八歳の青年は、教養も貧しく、精神年齢も幼いために、その傍若無人な行動にイライラすること多々。しかし、顧みればそれは私自身、あるいは戦後生まれの私たちを象徴している。

二・二六事件が発生し、蒲生邸では大将が亡くなる。成り行きで主人公もその場に居合わせ、その亡骸を目撃することになるが、不思議なことに自らを撃ちぬいたはずの拳銃が見当たらない。本当に自決なのか、あるいは他殺なのか、そして何が起こっているのか、このあたりから物語が一気に展開して面白くなっていく。

当時の空気感や人々の様子には臨場感があり、個性的な登場人物たちも印象に残る。その中でなかなか成長しない主人公が最後にどのようになっていくのか、そもそも物語の結末がどうなるのか、それは読んでのお楽しみということで書かないでおこう。日本SF大賞を受賞した本作、読んでおいて損はない。

個人的おすすめ度 3.5

さよなら、オレンジ(岩城 けい)

アフリカで難民となってオーストラリアに来ることになった女性サリマは、言葉もわからない場所で自分と子供たちが生きていくために働き始める。言葉の壁を感じたサリマは英語を教えてくれる訓練校に通い始め、そこで日本人女性ハリネズミと出会う。ハリネズミは、大学教授の夫についてこの地へやってきたが、子育てもあり、自分の夢を諦めているようだった。

物語はサリマとハリネズミの二つの視点から語られる。自分の都合に拘わらず母国を離れなくてはならなかった二人は、境遇こそ異なるものの、互いに思いやる気持ちを持っている。家族ですら自分のことをわかってくれていないと感じるときに、たった一人でも話を聞いてくれる人がいること。それが生きていくうえで大きな支えになるように思う。

やがて二人の周りには素敵な人たちが増えていく。一期一会とは言うが、出会いを価値のあるものにできるかどうかは生きる姿勢によるものだろう。互いに励ましあいながら逞しく生きていく彼女たちの姿が、今日も美しく沈んでいく夕日の中で影を延ばしている。

個人的おすすめ度 3.5