約束(石田 衣良)

生きている限り明日が来る。その明日が辛くて、自分の生きる価値がわからなくなる時がある。あとから振り返ってみると、前を向けるようになったきっかけは誰かの温かさだったりする。そして、その温かさはずっと前から寄り添ってくれていたものだとわかるようになる。気づいたときには、感謝すべき相手がいなくなっていたとしても。

七編の短編は心がじわりと温かくなる作品である。主人公たちが前を向けるようになる瞬間までを描いたものばかりで、描かれていない主人公の未来に、読者としての自分の人生を重ね、希望ある明日をイメージすることができる。つまり、生きる活力をもらうことができた。

表題の「約束」は、客観的にみると本当に辛い話だが、その中にさえも希望を描けるのが石田衣良という著者の素晴らしさである。人生をかみしめたくなる読後感の良い一冊だった。

個人的おすすめ度 3.5

コンビニ兄弟 -テンダネス門司港こがね村店-(町田 そのこ)

フェロ店長、ツギさん、光莉さん、魅力的なスタッフが揃ったコンビニ・テンダネス門司港こがね村店。コンビニというと、どこでも同じサービスという安心感がある一方、個性を感じることがあまりなかったが、このコンビニはそこにしかない価値が山ほどあった。

誰もが笑顔の裏に悩みを抱えている。強く生きている人ほど、孤独の中で堪えきれずに涙が零れることがある。そして、その涙に気づき、寄り添ってくれる優しさがここの人たちにはある。本当の優しさに触れた人は、やがてその気持ちを他の誰かの幸せに変えていけるようになる。

いつもいくコンビニも生身の人間が出迎えてくれているんだなと思う。そんなのは当たり前だと思って、感謝すらしていなかった自分を顧みた。テンダネスのようなコンビニがあったらいいなと望むのなら、まず近くの人に目を向けることから始めよう。きっと素敵な人たちがそこにいるはずだ。

個人的おすすめ度 4.0

歌うクジラ(村上 龍)

未来の人間社会──物理的な意味での不老長寿を手に入れた人間だが、社会は成熟するよりもむしろ荒廃し、人の心は成長しないまま、よりエゴが露出した社会となっていた。犯罪者とその子孫たちを隔離し、それ以外の場所で理想的な社会を作ろうとした試みから見えるのは、結局、地球にとってもっとも害のあるものは人間かもしれないという悲しい答えなのかもしれない。

村上龍氏の作品には、デビュー当時から人間社会への厭世的な雰囲気が漂っていたように思う。最近、経済番組などで、新しい技術などへの前向きな意見を聞きながらも、どこか違和感を感じてしまっていたのは、著者の心の底にある絶望感がにじみ出ているせいなのか、あるいは私自身がそう見てしまうからなのだろうか。この作品を読むと、著者の基本的な姿勢は今も何も変わっていないのだと思い知らされる。

前半はいったいこの物語はどこへ向かい、何を伝えようとしているのかがまったく見えてこなかった。正直、ページをめくる指先も重かった。しかし、下巻、特に後半になると、なるほどすべてはここへたどり着くための道のりだったのかと腑に落ちて一気に読了まで突き進んだ。今のところ物語が伝えようとする半分も理解できていないかもしれないが、ファンタジーのなかにリアリティを感じる作品だった。

個人的おすすめ度 3.5

らんたん(柚木 麻子)

明治初期から大正、昭和と、激動の時代を生きた河井道という女性。その視線の先には、すべての人々が平等な社会と、それに基づく世界平和という大きな志があった。女性の社会的な役割を認め、教育機会を作り、地位を向上することは、今なお日本社会においては十分とは言えないが、それでも今があるのは彼女たちのような志を持った人々の苦労なくして語ることはできないだろう。義務教育を誰もが受けられること、選挙権を誰もがもっていること、あるいは自由な発言をして自由に生きられることも、すべては当たり前に与えられるものではなく、彼女たちのような存在が戦い、勝ち取ってきたものにほかならない。

この作品には、恵泉女子学園を日本の女子教育などに多大な貢献をした河合道ばかりでなく、女子英学塾(現津田塾大学)を設立したが津田梅子、鹿鳴館の花と呼ばれた大山捨松、あるいは青鞜を世に送り出して女性解放運動を推進した平塚らいてうや伊藤野枝、さらにはNHKの朝ドラでも描かれたことのある村岡花子や広岡浅子といった人物など、この時代に活躍した女性たちがそれぞれ繋がりを持って描かれていることも読んでいてワクワクするところだ。

一方、登場する男性の幾人かはなんとも言えないだらしなさを晒している。特に作家の徳富蘆花は男尊女卑の権化のように描かれ、有島武郎もまた少なからずそのような人物設定だが、こちらは多少なりとも人間味を感じるところもある。ただ、令和の時代になっても、こうした感覚を持った男というのは存在しているので、人の心が変わるには時間がかかるものだなという思いをもって読了となった。

どんなときでも常に前を向いて生きる河合道という人の生き方に心を揺さぶられた。小説を楽しみたいという方はもちろん、歴史を振り返るという意味でも一読の価値あり!

個人的おすすめ度 4.5

夜空に泳ぐチョコレートグラミー(町田 そのこ)

生きづらさを感じる瞬間や、自分が生きている意味を見失うとき、たった一人でも寄り添ってくれる人がいたら、それだけで前を向いて生きて行ける気がする。表面だけではわからない優しさや、笑顔の底にある厳しい決意があったりする。そうした人々の心のありようを美しい言葉と情景で紡ぐ連作短編小説は、読み終えてなお余韻で涙が零れるほど心に響く作品だった。

どこにいるかわからない男を思う女性や、母を思いながら覚悟を決める男の子、祖母に育てられて強く生きる女の子、亡くなった恋人への思いを引きずって生きる女性、不倫で妊娠した女性と、かつて同僚だった元男性、ふらりと遠くへ行きたくなってしまう工場勤務の女性、夫の暴力に耐える女性など、少なからず問題を抱えながら必死に生きている人々が描かれているが、感じるのは同情などではなく生きる勇気だ。葛藤しながら生きる彼らの姿は美しいのである。

人の痛みを想像できる人間でありたい。同じ立場になることも、ましてや同じ人間になることもできないが、一人ではないと感じることが生きていく力になるのかもしれない と、今、読了して素直に思う。

個人的おすすめ度 5.0

カミサマはそういない(深緑 野分)

収録されている短編7編は、決して後味の良い作品とは言えないが、人間の自分勝手な部分や、都合よく解釈してしまう理解力、あるいはそした人間社会の未来にある日常などを描いた作品群は、まさにこのタイトルのカミサマはそういないという世界だった。

冒頭から恐ろしい世界が続くので、半分過ぎたころには、この本はホラーかもしれないと感じた。本当に怖いのはオバケなどではなく、人間の内面にあるものが表出する瞬間だと思う。そして、希望が無くなった瞬間に、その恐怖すら忘れてしまうという本当の怖さが待っている。

ここに書かれていることは単なる物語に過ぎない……と思うのだが、本当にそうだろうか。自分自身がそんな社会に、あるいはそんな環境に生きていることに、単に気づいていないだけかもしれない。

個人的おすすめ度 3.5

すべてがFになる(森 博嗣)

20年以上前に書かれた密室ミステリー。IT系の技術を中心にいくつかの仕掛けが施されていたり、科学的な分析などがみられる工学系ミステリーでもあるが、今読んでも旧さを感じることはほとんどなかった。

孤島の研究所で隔離生活を送っている天才研究者、その孤島で合宿することになる大学教授とお嬢様学生ら、個性的すぎる面々。特殊な環境下であるせいか、殺人という異常な出来事に直面しても、なぜか淡々と過ごす彼らの姿が当たり前に思えてしまうのは、事実を単なる事象としてとらえて解明しようとする研究者の性ゆえだろうか。

コンピュータに疎い人が読むと細部を理解するのが難しいプログラムの説明もあるが、特にそこをつっこんで理解しようとしなくても物語を楽しむことに支障はないだろう。ただ、プログラミングに若干でもたしなみがあれば、なお楽しみがあるということを付け加えておきたい。

本編後の解説を読むと、この作品はシリーズの第一作目に過ぎず、このあと九作品が続いているという。それらすべてを読み終えたときに、著者の壮大な物語の全容が明らかになるということなので、機会をみて続きを読んでみようと思う。

個人的おすすめ度 3.5

デンジャラス(桐野 夏生)

文豪・谷崎潤一郎の三番目の妻、松子の妹である重子の視点から、谷崎家の人間模様を描いた物語。谷崎潤一郎という人物をここまで掘り下げているだけでなく、妻や姉妹、子どもたち、さらにはその伴侶などを、ここまで個性的に描いている作品はほかにあるのだろうか。

谷崎潤一郎は、周囲の人々をモデルとして小説を描いたと言われるが、松子や重子が自らを描かれることに何を感じていたのかということは正直あまり考えたことがなかった。しかし、この作品の中では、谷崎作品に描かれることの喜び、あるいは嫉妬などが入り混じった感情が見事に伝わってくる。一方、そうした人々の感情を弄ぶかのような谷崎潤一郎の姿にも恐ろしいほどのリアリティを感じた。

この作品は読む人にとって感情移入する箇所が異なるように思うが、これがまるで谷崎家のドキュメントかと錯覚してしまうほど一人一人の描写が素晴らしい。この本をこれから読むのであれば、事前に谷崎作品の有名どころをいくつか読んでから手に取るとなおよいのではないかと思う。

個人的おすすめ度 3.5

囁き男(アレックス・ノース)

フェザーバンクという町では、かつて、子供が相次いで誘拐され、殺害された事件があった。犯人は逮捕されたものの、最後に誘拐された子供はは発見されないまま二十年が過ぎていた。そして、同じ町で再び子供が誘拐される事件が発生した。過去に逮捕した男には共犯者がいたのか、それとも模倣犯か、あるいはまったく別の事件なのか。

この街に引っ越してきたシングルファザーのトムと息子のジェイク。彼らはやがてその事件を知り、不安な日々を過ごすことになる。一方、二十年前に事件を担当していた刑事ピートは、新たに発生した誘拐事件の捜査にかかわっていく中で、驚くべき事態に直面する。

最初は何もないものと思われていた人々の空間に、張り巡らされていた糸が次々と現れていく様が面白く、同時に背中が寒くなるような怖さを感じた。そして、結末まで読めば恐怖が払拭されるのではないかと期待して、次々とページを捲ったのだが……。

何とも言えない読後感だが、申し分のないストーリー展開で、秀逸なミステリーであることは間違いない。読み始めてしまえば、一気に物語の世界に引き込まれることだろう。

個人的おすすめ度 3.5

歩兵の本領(浅田 次郎)

私が子供だった1970年代頃には、まだ上野駅で自衛隊員を募集する人を見かけた気がする。そんな時代に自衛官になった人々を描いた連作短編。国を守る存在でありながら、外を制服で歩くこともできず、名誉や誇りを持つことも難しい時代だったのかもしれないが、その中で居場所を見つけ、人としてどうあるべきかを身をもって覚え、そしてそれを引き継いでいこうとする彼らの姿に自然と涙がこぼれた。

エリートを育てるのではなく、落ちこぼれを作らない組織を目指すというあり方は、互いに命を預けあう仲間だからこその関係なのだろう。そこにいた者にしかわからない苦労はたくさんあるだろうが、この本を読むと彼らを羨ましいなと感じるシーンがたくさんある。

浅田次郎氏もまた自衛隊にいたことがあるというのを知ってさらに驚いたが、なるほど、だからこそこの臨場感があるのかと納得。涙あり、笑いもあり、さすがの浅田次郎作品であった。

個人的おすすめ度 4.5