六人の嘘つきな大学生(浅倉 秋成)

大学生の就職活動というのは、一歩引いたところから見るとまるで非日常のように見える。企業と大学の騙しあいのようでもあり、裏側から見れば人間の嫌な面ばかりが見えてしまう。物語は某企業の最終面接に進んだ六人が、グループディスカッションに臨んだ時のある事件を描いていく。

人を信じて協力していくという美しい関係は、あることをきっかけに百八十度転換していく。あらぬ方向へと飛躍していくグループディスカッションは、当事者にとっては苦痛でしかないものだろうが、第三者から見れば最高のエンターテインメント、喜劇でしかないのかもしれない。そして、その第三者である読者をも騙し、騙されながら、驚きの結末へと向かっていく。

途中、読みながら恐ろしい読後感になりそうだなと思っていたが、読了した時にはとても良い納得感があり、着眼点も面白かった。また、考えさせられるところもあった。今更、就活する側にも、採用担当側にもなりたくないなと思ってしまったのが正直な感想でもあるが……。

個人的おすすめ度 4.0

走って、悩んで、見つけたこと。(大迫 傑)

プロランナー大迫傑さんの言葉は共感できるものが多い。そしてやっぱりかっこいい。

できる限り自分で選択し、その結果を自分の責任で受け止める。だから誰かのせいにするような言い訳はしない。そういう生き方は、マラソンという範疇ではなく、一度しかない人生をいかに意義あるものにするかということに繋がっている。

今はまた選手に復帰をされるとのことだが、こういう人が指導者となり、自らの背中を見せながら人を育てたら、これからの社会に希望が見える気がする。走る人にも、走らない人にも、読んでみてほしい一冊。

個人的おすすめ度 4.0

残月記(小田 雅久仁)

月を題材とした世界観の作品3篇。当たり前だと思っていた日常が崩れていくとき、人はそのことをどう受け入れていくのだろう。生きていかねばならないという前提があるとすれば、たとえ理解できないことが起こったとしても、どこかで折り合いをつけていくしかない。きっとそれは、私たちの日常でも多かれ少なかれ起こっていることなのかもしれない。

特に、表題となっている「残月記」は、月昂という感染症に罹った主人公らがおかれた境遇をめぐる物語であり、現在進行形のコロナ問題とどこかしら重なる部分もある。誰もが人間らしさを尊重される社会が理想だという建前と、感染症の患者はこの「人間」という定義から除外されていく様は、人間が大きな矛盾を抱えて生きていることを示しているように思う。

ファンタジー要素のあるハードボイルドといった雰囲気の作品だが、独特の世界観にはリアリティも感じられる。単なる夢物語のような世界でもなければ、ただ明るい世界でもない。どちらかというと人間のダークサイドを描いているように感じる物語は、まるで満月に照らされた社会のように、怪しく美しい月夜の雰囲気を持っていた。

個人的おすすめ度 3.5

ブラックボックス(砂川 文次)

メッセンジャーの仕事をしている男の心の内を刻々と綴る前半、そして突如シーンが変わってそこに至る過程と気づきが描かれる後半。どことなくニヒルな雰囲気もある主人公だが、その内にある抑えようのない衝動が彼の人生を導いていく。社会的な生物としての人間者、自分自身と向き合うことで、やがて他者というものが社会に存在していることを認識していくのかもしれない。

物語の構成が秀逸で、前半と後半がやがて繋がっていくところが面白い。また、組織の中で生きていく以上、避けることのできない人間関係の難しさは、少なからず共感できるところもある。淡々とした語りの行間に、主人公が感じている生きづらさが垣間見えるような気がした。

この社会はブラックボックスのようなもので、中の理屈はわからなくても、何をすれば何が起こるということは経験をすれば理解できるようになる。とどのつまり、人生はそういうことの積み重ねなのかもしれない。

個人的おすすめ度 3.5

赤と青とエスキース(青山 美智子)

一つの作品が生まれ、人々の目に触れながら、絵もまた人々の変遷を見守っているかのようだ。一枚の絵に連なる人たちの変遷に胸が熱くなった。流れる涙は温かいもので、人を信じたいという気持ちにさせてくれる一冊だった。

オーストラリアでその絵が描かれたとき、モデルとなった女性は何を見ていたのか。作家はそこで何を感じたか。やがてその絵は海を越え、物語の中にたびたび現れる。文字を読んでいるはずなのに、そこには確かに赤と青で描かれた一枚の絵が見えてくる。まるで登場人物の一人であるかのように。

連なる短編の物語は、エピローグで美しい驚きをもって集約される。そして、最後のページを閉じたとき、心地よい幸福感で満たされた。

個人的おすすめ度 4.0

正欲(朝井 リョウ)

正しい欲求とは何だろうか。異性を見て性的興奮を覚えることは正しい性欲なのだろうか。食欲は、睡眠欲は、正しい欲求なのだろうか。誰がそれを何のために規定するのだろうか。自分がマジョリティに属していると思う人間が、そうでない人間を探しだし、両手を広げて受け入れる姿勢を見せることは、善行といえるのだろうか。多様性を享受する社会とは何だろうか。

この本を読んでいてつくづく自分自身の傲慢に行き当たる。共感という言葉に虚しささえ感じる。血のつながった家族は、他人とは言えないが、家族だという理由だけで分かり合えることはない。だからこそ、同じ喜びを共有できる人間がいると信じられることだけで、明日も生きたいという欲求を感じられるのかもしれない。自分自身がマジョリティだと信じている人間にとっては、それは容易なことなのだろうが……。

登場人物たちが感じているであろう孤立感も、私が理解していると錯覚しているに過ぎないのだと思う。それでもこの本を読むことに大きな意味を感じる。理解できない多くの存在があるということに気づけるように。

個人的おすすめ度 4.5

夜が明ける(西 加奈子)

「俺」がその一言を云えるようになるまでに、どれほどたくさんの時間を費やしてきたのだろう。誰にも気づかれない孤独の中で、真っ黒な胸の内を隠して、自分ではない何かを演じて生きていく人生の辛さよ。血を流しながら、死ぬこともできない惨めさよ。小説を読みながら、これほど苦しさを感じたことは久しぶりだ。

しかし、アキにとって「俺」はその闇を照らしてくれた存在であったのかもしれない。そして、誰かに必要とされた経験、誰かに存在を認められた経験、たったひとつのその経験だけが、人を生かしてくれることもあるかもしれない。

現代の、大都会の中の、雑踏の中の孤独。そのリアルさが迫ってくる。夢とか希望とか、ほしいものはそんな高尚な言葉ではない。最後まで読み、このタイトルの意味が明かされたとき、そこにあったのは一握りの安堵だった。

きっとこの物語を書きながら、著者も心の中で多くの血を流したに違いないと想像した。

個人的おすすめ度 4.0

ボタニカ(朝井 まかて)

学術研究で名を残す人の横には、名もなき多くの支えがあった。植物学者・牧野富太郎氏のことはこの作品で初めて知ったが、植物への圧倒的な熱量、絶対的な現場主義、純粋すぎるが故にそれ以外のことにはまったく気づかない鈍感さ、あくまでフィクション作品ではあるが、その人物像と情景が鮮やかに浮かび上がった。

今やわからないことがあればインターネットで当たり前のように情報を調べることができる。知らない草花を見れば、写真で撮影して検索することさえできてしまう。しかし、ひとつひとつに名を与え、体系化し、誰もが理解できるようにした人たちがいる。それには膨大なエネルギーが必要なのだろうが、便利すぎる社会に生きているとその有難みを忘れてしまう。言わずもがな、学者たちを支える多くの人々への感謝はなきに等しい。

植物に疎い私は、名前が出てくる植物を何度も検索して調べながら本を読んだ。外を歩いていて目にする木々や草花はそれぞれ名前を持っている。市井の人々にもすべて名前があり、それぞれが存在意義を持って生きている社会と同じであった。この作品は、牧野氏と家族や周囲の人々の物語であるとともに、この社会に生きるすべての人を照らした物語である。

個人的おすすめ度 4.5

羊の頭(アンドレアス・フェーア)

ドイツで人気のミステリーシリーズの第二段。ヴァルナーとクロイトナーら刑事が、山の中で発生した殺人事件の犯人を追って活躍する。犯人と思わしき複数の人物は誰もが問題を抱えていて、それでも殺人まで犯すほどの動機はどこにあるのだろうかと考えながら刑事とともに推理をしてみる。一方、刑事たちも癖のある連中ばかりで、親との関係や異性との関係などを引きずりながら仕事をする姿がとても人間的である。

人を支配しようとするコントロールフリークの人間はどの国にも存在する。特に暴力で人を支配する人間はその典型で、加害者となることもあれば、恨みを買うことも多い。また、コントロールフリークの人間に支配されることによって、正常な思考ができなくなることもある。そうした心の動きは客観的に見ていてもとても痛々しいものであるが、きっと世界中にこうした問題が転がっているからこそ、誰が読んでも共感できる物語となっているのだろう。

スリリングでスピード感のある展開は、想定通りと思われたラストシーンを超えて着地した。自分が蒔いた種は自分で責任を負うというのが社会のルールかもしれないが、単純に自己責任として片づけてしまうには重すぎる問題が社会には無数に横たわっている。

個人的おすすめ度 3.5

戦争は女の顔をしていない(スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ)

第二次世界大戦時、ソ連は女性を男性と同じように前線へ送った。この大戦の犠牲者数だけを見ても、ソ連は世界で突出している。多くの命が失われ、戻ってきた人たちも体と心に大きな傷を負っていた。戦線で活躍した男性は、帰還してから称えられる一方、女性たちの多くは口を閉ざし、辛い現実に直面した。勝利は男性のためものだったのだろうか。

著者は、この戦争で戦った女性たちの声をひとつひとつ拾い上げ、彼女たちはそのとき何を考えて行動し、何を失い、何を得たのか、その現実を脚色することなく伝えようとした。映画などで見る戦争は、正視に耐えるきれいな部分だけを描いているというのは、確かにその通りだろう。彼女たちが語る現実は、他人であっても見たくない現実が多分に含まれていた。

憎しみと絶望、そして僅かな希望。軽々しく失われていく命。それらが非日常ではなく日常となる日々。きっとここに語られていることは氷山の一角に違いない。

そうした死に溢れる日常から帰還した彼女たちを、人々は称えるどころか、歓迎もしなかった。そのことにまた傷つきながら生きてきた彼女たちの声を私たちは聞くべきである。そして、同じ過ちを繰り返さないために、決して忘れてはいけない。

目を背けずにこの本を読んでほしい。一人でも多くの人に読んでほしい作品である。

個人的おすすめ度 4.0