輪舞曲(朝井 まかて)

読了後の切ない余韻が心地よい。
大正の名女優・伊澤蘭奢いざわらんじゃと、彼女に深くかかわった編集者・内藤民治ないとうたみじ、弁士・徳川夢声とくがわむせい、児童文学作家・福田清人ふくだきよと、そして息子で作家の伊藤佐喜雄いとうさきおらの交友を描いた物語。
彼女の死後、ある場所で顔をそろえた彼らは、それぞれの立場から彼女との時間を回想していく。
伊澤蘭奢あるいは本名である三浦繁みうらしげという人の頑なな生き方、そして多彩な生き方は、彼らの人生に少なからず影響を与えていったことだろう。

彼女は、自分のことを見る妬みとも羨望ともとれる娘らを見て思う。
『口惜しかったら、あなた方もこっちの岸へ渡っておいでなさいな。簡単なことよ。人並みの道徳心と月々の経済、そして精神の安定を捨てる勇気さえあれば、その川は渡れる。』
女優という仮面の裏側に、覚悟を決め、多くの犠牲を払いながら生きていく一人の女性の姿があった。

そして、多くの人が伊澤蘭奢のことを勝手に語り、彫琢していくのである。
『華やかで地道で、嘘つきで誠実で、美しくて醜くて、情熱的で冷静だ。そして母のようにあたたかく、淪落の女のように妖しい。』

また、読み進めていくと出てくるチェーホフの「桜の園」が物語と何度も交錯し、この作品そのものが舞台のようにも見えた。
大正から昭和にかけての時代の雰囲気、そして舞台の世界の雰囲気に引き込まれ、私自身もその輪舞曲ロンドの中にいるようだった。

個人的おすすめ度 4.0